オランダ人ジャーナリストのカレル・ヴァン・ウォルフレンが1989年に出した『The Enigma of Japanese Power』という作品をご記憶の方は多いだろう。ジャパン・バッシング華やかかりし頃の日本論である。外から見て得体の知れない日本の国のかたち、とくに権力構造のかたちを真正面から解剖しようとした野心的な作品であった。邦訳も出たが、大変な評判となった。日本の「異質性」を衝く彼の議論に溜飲を下げる者もいれば、欧米基準で日本を裁く彼の尊大さを咎める者もいた。
そのような醒めた日本論として最近目立つのが、日本を率いるリーダーの資質、さらにいえばリーダーそのものの欠如を問う議論である。昨今の海外の論壇を見てみても、このような日本の「リーダーシップ欠如」を指摘する論文は少なくない。ここ数ヶ月、私が目を通したものだけでも、Tobias Harris氏の「Japan’s Leadership Deficit」(3月20日付ウェブ版Far Eastern Economic Review)、Richard J. Samuels氏の「Japan’s Lost Leaders」(4月11日付ウェブ版Newsweek)などがある。そしてつい先日、ロイター通信がChisa Fujiokaという日本人による「Japan school seeks solutions to leadership gulf」(5月10日付ウェブ版Reuters)という記事を全世界に配信してもいる。ちなみに、ここでいわれる「Japan school」とは松下政経塾のことである。(つづく)