むしろ疑問視されるのは武漢市の二つのウイルス関連研究所である。一つは武漢市の人口密集地に位置する「武漢市疾病予防管理センター(the Wuhan Center for Disease Control Prevention (WHCDC))」であり、問題視されている市場から至近距離にある。他方は武漢市の郊外にある「中国科学院武漢ウイルス研究所(the Wuhan Institute of Virology, Chinese Academy of Sciences)」である。武漢市が同ウイルスの発生源であることを踏まえると、これらの二つのウイルス関連研究所が疑問視されることは自然な流れであろう。これまで、これらの研究所からウイルスが流出したことを裏付ける決定的な証拠が提示されていないとは言え、これらの研究所と武漢市での同ウイルスの発生と何らの関連があるとみて間違いないであろう。本稿はこの二つのウイルス関連研究所が感染源である可能性について改めて考えてみたい。2019年12月1日に「0号患者」が武漢市で発見されてから、まもなくして41人の感染者が肺炎を発症したとされるが、その中で27人が同市の華南水産卸売市場との関係を疑われた。( “Clinical features of patients infected with 2019 novel coronavirus in Wuhan, China,” The Lancet, (January 24, 2020.)
新型コロナウイルスは2003年に流行したSARS(重症急性呼吸器症候群)の原因となったと考えられるSARSコロナウイルス(SARS-Cov)と極めて類似していることが明らかになった。しかしSARSコロナウイルスの自然宿主として疑われたキクガシラコウモリ(rhinolophus affinis)は同市場で売買されていなかった。キクガシラコウモリの生息地は浙江省や雲南省であり、同市場から900キロ・メートル以上離れている。コウモリが市場に飛んできた可能性は考え難かった。こうした中で、2020年2月6日に衝撃的な論文が発表された。同論文は広東省の華南理工大学の肖波涛(シャオ・ボタオ)教授らがまとめた「新型コロナウイルスの可能な発生源」」であった。(“The possible origins of 2019-nCoV coronavirus,” Research Gate, (February 6, 2020.))肖波涛は発生源と目された水産卸売市場ではなく同市場に近接した「武漢市疾病予防管理センター」からウイルスが流出した可能性を疑った。同センターは市場から280メートルという至近距離に位置する。しかも、同センターは近年、コウモリを湖北省から155匹、浙江省から450匹を捕獲したとされる。捕獲されたコウモリの中にはキクガシラコウモリも含まれていた。同センターの研究員はコウモリの血液や尿が皮膚に付着したという経験があった。感染リスクを恐れた研究員は自主的に隔離措置を講じたとされる。
また新型コロナウイルスに感染した患者が多数駆け付けたユニオン病院は同センターと近接していた。同病院の多数の医師達もまもなく同ウイルスに感染したとみられる。こうしたことから、同ウイルスが何らかの事由で上記のセンターから外部に流出し、人に感染した可能性があると肖波涛は推論した。この研究所の他に同教授らが疑ったのは「中国科学院武漢ウイルス研究所」の可能性であった。ただし同研究所は華南水産卸売市場から12キロ・メートルも離れている。結論において肖波涛はウイルス感染のリスクの高い研究所を人口密集地から遠方に移す必要があると指摘した。研究者としての良心に従っての指摘であったと言えるが、習近平指導部を震撼させかねない内容であることを肖波涛は自覚していなかったと考えられる。その後、『ワシントン・ポスト紙』が衝撃的な報道を4月14日に伝えた。(“State Department cables warned of safety issues at Wuhan lab studying bat coronaviruses,” The Washington Post, (April 14, 2020.))報道によると、事の発端は2018年1月に在中国米大使館の専門家達が武漢市郊外に位置する「中国科学院武漢ウイルス研究所」を訪問したことに遡る。同研究所は中国で初の高度安全実験室(BSL‐4)を備えた研究所として2015年に開設された。同研究所はアジア地域で最大規模を誇るウイルスの保管施設であり、1500を超えるウイルス株を保管しているとされる。(つづく)