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2008-08-25 13:35

桜田さんの投稿を読んで

中山太郎  団体非常勤職員
 昨日の桜田淳さんの投稿「『飽和点』としての北京オリンピック」(651号)を拝読しました。膨大な資源を投入して「地位」を誇示するという、これまでのオリンピックの手法は飽和点に達した、とのお説に賛成です。開幕・閉幕式についての感想を人に聞いても、「人海戦術のマスゲーム演出は、ツー・マッチだ」との意見が大半でした。英国の演出は、ユーモアと軽妙さで、かえって一服の清涼剤の感がありました。スター・ベッカムの出番もほんの少しでしたが、印象は深く残りました。もっとも、中国は、いつも国内向けの演出なのだということですから、あれぐらいくどくないと、収まらないのでしょう。そうなると「宴の後」がどうなるか、ますます目がはなせません。勿論これだけ中国経済に緊密に組み込まれているわが日本が、「いい気味だ」といって済まされる問題ではありません。

 さて、桜田さんの老子、荘子を引かれてのご高説には、中国古典をよく読みこなしておられ、参りました、と頭を下げる他ありません。しかし、物事をあいまいにし、白髪三千丈的に誇張する傾向のある漢字の世界には、なにか引っかかるものがあります。中国においては、儒教による官僚としての出世がうまくいかなかったら、老荘思想に逃げるという、両者のシャム双生児的な関係の面もありました。後者は、道教となり、中国の一般庶民にとって現世利益を夢想させてくれる、いまだ非常に強い影響を持つ信仰となりました。

 近代中国では、多くの心ある人々が、真剣に古典世界の提示するものに疑問を持ち、これを跳ね飛ばそうというところから発展した、と理解しています。毛沢東からトウ小平まで、将来は、漢字を廃止し、ローマ字にすると公言しておりました。ところが、IT世界となり、急速に漢字が復権してきました。それどころか、近代の始まりで排斥した古典世界もです。ブリティシュ・カンシル、アリアンス・フランセーズ、ゲーテ・インステュートの向こうをはり、いまや孔子学院を世界にめぐらせようとしています。

 その振幅の幅に驚く他ありません。あのときのアンチ漢字、反古典の世界観はどうなったのかと、問わずにはいれません。蛇足ながら、老荘の流れを汲む道教が日本に昔から入っていたと、中国の主流を成す学者が今盛んに主張しておりますが、仏教も中国からの渡来ですし、日本では中国の要素は探せばいくらでも出てくるでしょう。道教の元になった中国多神教の世界は、原始時代においては、世界に普遍的に存在していたのではとも思います。
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「飽和点」としての北京オリンピック 櫻田淳  2008-08-24 10:12
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桜田さんの投稿を読んで  中山太郎  2008-08-25 13:35
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中山太郎さんの投稿に対するリプライ  櫻田淳  2008-09-08 10:57
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