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2008-05-06 20:15
東アジア共同体評議会は、「場」か、「運動体」か
亀山 良太
自営業
本欄への4月30日付けの私の投稿「東アジア共同体は『運動』であることに意義がある」(558号)に対し、同日付けで石川良平氏から「『東アジア共同体』論議は弁証法的に捉えよ」(559号)とのコメントをいただいたので、それに呼応する形で、今回は「東アジア共同体評議会」(以下「評議会」)について私見を述べたい。
石川氏は、東アジア共同体を取り巻く状況を「東アジア共同体とは、現在のところ、一つの言葉(単語)にすぎない」と看破したが、東アジア共同体をとりまく現状を見事に表したフレーズだと思う。「そしてこの言葉をめぐって侃々諤々の議論がなされている」というのもその通りであろう。評議会のサイトをみると、活動の中核に位置付けられている「政策本会議」では、「政策提言を行い、世論の啓蒙に努める」とされている一方で、トップページにわざわざ「研究団体であるが、推進団体ではない」「特定の定義を前提にしていない」との断り書きをしている。評議会の立場の難しさを推察できるが、これもまた石川氏のフレーズの正しさを裏付ける一端だろう。
弁証法的意義も傾聴に値する。しかしながら、最後に述べられている「我が国がそれらをキャッチする知的なプラットフォームを持つことは、日本の国家戦略上決して不利なこととはならないであろう。東アジア共同体評議会の存在意義も、そこら辺にあるのではないだろうか」という結論部分については、反論しておきたい。ずいぶん現実的で控えめな期待値であるし、それが、ともすれば評議会の意義を矮小化することにつながりかねないからである。前回の投稿で、私は「東アジア共同体の実現よりも、その過程で何が起こり、何をするかの方が大切」と述べた。それは、現在、評議会が参加している「東アジア・シンクタンク・ネットワーク(NEAT)」における活動においても、まったく同様である。シンクタンクのネットワークとはいえ、各国を代表して参加するのであるから、各国とも国益を考えたポジショニングが必要であり、実際のところ、評議会メンバーはそのような意識のもとで活動していると思われる。
石川氏と私の立場の違いは、評議会への期待が「場」にとどまるのか、「運動体」まで含まれるのか、という点にあるわけだが、わが国を代表して国際的活動を行う組織である以上、「運動体」としての役割を宿命的に背負っている、というのが私の見方である。なぜ「運動体」にこだわるかというと、「東アジア共同体」と書いた紙をあぶりだすと、「対中国政策」という文字が浮かび上がってくるからだ。昨今の中国の経済成長と覇権主義的な動向をみていれば、それほど時間的な余裕があるとは思えない。評議会としては、東アジアの定義や立ち位置を主張し、世論の啓蒙をはじめる時期ではないだろうか。現在のサイトを閲覧する限りでは、私のような専門外の人間に啓蒙する内容に乏しく、なんとも心もとないのである。
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投稿履歴
東アジア共同体は最悪の結果をもたらす
國分 芳 2008-04-29 19:21
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東アジア共同体は「運動」であることに意義がある
亀山 良太 2008-04-30 00:24
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国分さんの「東アジア共同体否定論」に反論する
中山太郎 2008-05-16 04:59
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根拠は何ですか?
零 淑華 2008-05-29 00:45
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「東アジア共同体」論議は弁証法的に捉えよ
石川 良平 2008-04-30 14:24
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少し言わせてください
神田 弘樹 2008-06-18 03:23
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東アジア共同体評議会は、「場」か、「運動体」か
亀山 良太 2008-05-06 20:15
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