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2025-03-16 18:12
(連載2)日本の文化を破壊する生活保護目当ての外国人
宇田川 敬介
作家・ジャーナリスト
先日、中国人48人が来日直後に生活保護申請し、それを開始決定せざるを得ない法制度の欠陥があるという報道があった。政治的な革新主義者、というか、今の日本のSNSでは左翼主義者といった方がわかりやすいかもしれないが、外国人に対して全く審査もなく、ただ「保護する」というようなことをしている。まず、その内容を考える前に、「人を助ける」ということは、自分たちが強くなければできないということになる。強くて、他の人を助けながらでも自分の生活などが問題なく行うことができるということが重要になる。自分の力がなかったり、余裕がなかったりという状態で、他人を助ければ、共倒れになってしまうということになるのである。水の中でおぼれている人を考えてみよう。溺れている人を助けることができるのは、船などの上に載っているか、または、浮き輪などの道具を二つ以上持っている人、またはよほど泳ぎがうまくなければならない。単純にそうでなくおぼれている人を助ければ、相手が子供であっても自分がまきこまれて一緒に溺れてしまう。
入ってくる外国人が溺れている人々であると考えれば、船のような物はないし、また、浮き輪も二つ以上はない。要するに日本の人々が溺れている外国人を助けることができるだけ泳ぎがうまいかということになる。実際に、バブル期の日本であれば、外国人を助けるだけの経済力があったということになるが、現在の日本では、そのような経済力はない。今の若者が「子供を産むこともできないくらい」に経済的に困窮し、すでに失われた30年が毎年更新されているほどの状態で、外国人が公助を出すということになるのである。
そのような状態でも「外国人がかわいそう」などということを言う人がいる。実際に、「助ける」ということは「税金が使われる」ということである。単純に言えば、中国人、今回の記事で言えば、48人の中国人の生活費を、日本人の若者の税金で補っているということになるのである。そのようなんことが許されるのであろうか。日本国憲法の第3章、人権の中には、「何人も(なんぴともと呼ぶ)」と「国民は」という主語が使い分けられている。
当然に、憲法の「最低限の生活」ということは、当然ん「国民は」という主語であり、実際は、「外国人に生活補助を与える」ということは明確な憲法違反である(違反とは言えないまでも、明確な越権であることは間違いがない。そのうえ、国民を守る義務を放棄しまたは国民を放置して、国民以上の保護を外国人に与えるということは問題が大きいのではないか。ましてや、中国人は他の中国人が日本に来ていても日本国で十分税金を払っていないのである。そのような不公平を許していることが良いと判断するのであろうか。生活保護の在り方について、まずはしっかりと見直すべきでありなおかつ、国民を優先するということを確認すべきではないのか。日本は日本人のための国なのである。(おわり)
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投稿履歴
(連載1)日本の文化を破壊する生活保護目当ての外国人
宇田川 敬介 2025-03-15 17:55
(連載2)日本の文化を破壊する生活保護目当ての外国人
宇田川 敬介 2025-03-16 18:12
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