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2024-12-11 11:16
(連載2)シリア情勢と日本のSNS
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
私は、シリア人の大学院生を何人か指導したことがある。日本の大学に来るのは日本政府の国策でレバノンやトルコの難民から選抜された者である。彼らにとって「アサド」と言えば、筆舌に尽くしがたい蛮行そのもののことであり、激しい憎悪の対象である。世間で「アサド派」として知られている私の大学の同僚教授にも、絶対に近づかない。ただ私は、ダマスカス大学を出て留学してきた女性を指導したこともある。彼女も、アサド政権を擁護したりはしない。しかし家族がダマスカスに暮らしている。行動や言動は、自ずと難民の留学生とは少し異なる。国連機関のシリア事務所で勤務していた経験を持つ知り合いも複数いる。日本政府が、「モスクワ派」「イスタンブール派」などの各勢力の人々を数人ずつ選んだうえで日本に連れてくる「研修」の講師を務めたこともある。そうした経験をへて、いま改めて思うのは、シリアの特異な政治システムは、バッシャール氏の父であるハーフィズ・アル=アサド氏の時代に作られた「バアス党」独裁のシステムである、ということだ。
ハーフィズ氏も、軍人であったが、バアス党の穏健派と目されるグループのリーダーであった。その彼は、バアス党の権力闘争を勝ち抜いているうちに、自らに権力を集中させる術を発揮し、世界有数の独裁システムを作り上げた人物であった。私は、アサド親子を信奉していないし、彼らの蛮行を擁護する気持ちも微塵もない。ただ、同時に、アサド親子を徹底的に悪魔化し、全てはアサド親子という悪魔がやったことである、といったかのように考える姿勢に、いわば「悪魔の蛮行」理論を振りかざすような風潮に、疑問を持っていることも確かである。シリアの独裁システムは、単に悪魔が現れて蛮行を繰り返した、ということだけでは説明できない鋼のような強さを持っていた。今回の政変で、アサド王朝は終焉した。しかしアサド独裁システムが終焉したかどうかは、わからない。HTSと戦わずして「権力の平和移行」を唱えている旧政権の高官の中には、蛮行をより直接的に指揮していた者も含まれている。なんといっても独裁体制が長期にわたって続きすぎた。他の政治文化が開花しうるかは、わからない。
「HTSはアルカイダかどうか」をめぐって日本のSNSで罵倒の言葉が飛び交っているが、この問いを文字通り受け止めることには、あまり意味がない。「HTSはアルカイダのような組織文化を持っているか」、という問いも、ほとんど比喩である。「HTSはシリアの政治文化を刷新するような組織文化を持っているか」、という問いが、本質であろう。加えて、実は、HTSはダマスカスを制圧したとはいえ、シリア領土の半分も支配していない。反アサド政権では共闘したが、よりトルコに近いSNAとは一枚岩ではない。クルド系のSDFは国土の3分の1以上を支配しているようであり、これを嫌うSNAと武力衝突を起こしている。
さらにトルコ、アメリカ、イスラエルが、アサド政権崩壊後も、シリア各地で空爆を繰り返している。イスラエルはゴラン高原に侵攻を始めたが、アメリカはもともと自国の基地周辺を占領地のように囲っている。トルコも国境付近のシリア北部で特別な影響力を行使できる立場にある。ロシアが軍事基地を放棄するかも未定だ。アサドは悪魔、悪魔が全ての現況、したがって悪魔を追放すれば問題は解決する、あとは同じように唱えない者も悪魔の仲間として追放するだけ、といった話で、全てを解決できるような単純な状況ではない。シリア情勢は複雑だ。複雑すぎると世間に注目してもらえない、というのも、その通りだろう。しかし、だからといって、いたずらに話を単純化させることが、いつも正しいとは限らない。私が知るシリア人は皆、穏健で知的な方々ばかりだ。だが皆、心の中に何か悲しみと、不安を抱えている。彼らが、ゆっくりと、時間をかけて、その特性を生かした能力を発揮していく環境が整い始めるまで、性急な結論を出すことはできない。(おわり)
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投稿履歴
(連載1)シリア情勢と日本のSNS
篠田 英朗 2024-12-10 11:04
(連載2)シリア情勢と日本のSNS
篠田 英朗 2024-12-11 11:16
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