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2022-01-25 18:12
(連載1)二正面作戦のロシア、伊達ではない
宇田川 敬介
作家・ジャーナリスト
ユーラシアが動揺している。きっかけはこれだろう。昨年の夏にアメリカがアフガニスタンから撤退した。これによって中央アジアのパワーバランスが崩れているのである。この2年間、多くの国がコロナウイルス禍によって様々な政治的な問題や国民感情の問題に直面しており、その未経験の災害に対する苦闘から政治経済の停滞を強いられている。コロナウイルスはその特徴である強い感染性を理由として、「人命」か「経済」かというような究極の選択を為政者に迫っている。とはいえ、現在では医療体制の進歩やオミクロン株の弱毒性などにより、実際の致死率などは下がっていることを考えると「感染した場合の恐怖」か「社会的な安定」かというような選択肢になっていくことになるのではないか。
いずれにせよ、人間が「人命にかかわる問題」で恐怖にかられ、「恒常的なパニック状態」になってしまっている状態においては、冷静な判断ができなくなってくる。本来、政府の社会政策は「感情」をなるべく排除し、合理的な判断によって行わなければならない。そのうえで、その判断に関してしっかりとした説明責任が求められる。それが民主主義の基本である。もちろん、その合理的な判断の説明を聞く耳がありなおかつ、その説明を理解できる国民がいるという前提であり、何でもかんでも「反対のための反対」をするようなマスコミや活動家などに対してもそれを無制限に尽くすという意味ではないが。
そのような非建設的な人々は別として、今回のコロナ禍やあるいは災害、戦争などにおいては、「人命にかかわる問題」となってくるがゆえに、説明を尽くしたとしても国民からなかなか納得を得られるものではない。このような時に、民主主義の国々の場合は、なかなか前に進めず慎重な議会対応が必要ということになるのであるが、権威主義的な社会主義国では、政治的エリートによって独裁的に国家意思を決定し、国民世論を軽視して進める事ができるので、様々な事が円滑に行われうる。そのようなところを切り取って、社会主義の方が進んでいるとか、このような危機管理には良いなどという人がいるが、それは大きな間違いである。確かに決断は早くできるかもしれないが、一方で多様な意見を吸収することができないので国内に不満がたまり、国民の心理が不安定化するからである。
ただ、コロナ禍のような有事にあっては民主主義国家よりも独裁的な国家の方が物事に早く対応できることは否定しがたい事実である。そのように考えれば、「他の国が内政で忙しい間に国外の問題を有利に進めておこう」というような思考が社会主義国に出てくるのは自然なことと言えるかもしれない。中国とロシアはまさにそのような状況がいま現在なのではないか。(つづく)
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(連載1)二正面作戦のロシア、伊達ではない
宇田川 敬介 2022-01-25 18:12
(連載2)二正面作戦のロシア、伊達ではない
宇田川 敬介 2022-01-26 13:05
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