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2021-08-20 19:21
皇室外交を考える
中山 太郎
非営利団体非常勤職員
上皇は、明仁皇太子の時、1953年にエリザベス女王の戴冠式へ参加された。戦争の記憶がまだ生々しく残り英国の雰囲気はあったかいものではなかつた。その時から59年たった2012年女王の即位60年を祝う午餐会が行われ両陛下もご参加された。その時の席は、最高のものだった。その間の日英間における皇室、政府民間の強い絆がそれをもたらせたのだ。民主国家で、政府主導ではこうした息の長い外交は不可能だ。国際社会で孤立できない日本は、こうした世界の国々との友誼がいかに大切か身に染みてかんじている 。
2000年、明仁天皇と美智子皇后は、国賓としてオランダを訪問された。両陛下も日本の首相も外国訪問の際、祖国のために準じた人々の慰霊を祀る場所を必ず訪れ花輪をささげ、黙とうする。これはその国と国民への最高の敬意と友好の表明でもある。かって敵国だった場合は和解と未来志向の協力の象徴ともなる行為である。しかし、今の日本では外国の要人によるこうした慰霊は行われない。ある時、某宮司が独りよがりの妙な功名心からか、勝手にA級戦犯の合祀を行い、天皇陛下の靖国参拝もできなくしたのだ。外国の首脳が、靖国で深々と頭を下げ黙とうしてくれたら、英霊も遺族もどんなに癒されるものがあるかしれないと思うと誠に残念だ。第二次大戦で、日本は当時オランダの植民地のインドネシアを占領し、民間人、兵士13万人を強制収容所に収容した。そこで約2万2千人が亡くなった。オランダ人の植民者は、一切がっさい失い引き上げた。うらみは激しかった。
両陛下は、ベアトリクス女王に付き添われ慰霊塔の前に立たれた。そばにいた人の話では、長い長い黙とうをささげた。この模様は、現場で多くの市民が見守り、オランダのテレビでも生中継された。証言者の話では、両陛下の黙とうが終わると、厳粛な感動が周囲を包むものが感じられたそうだ。ベアトリクス女王の目には涙が浮かべられていたそうだ。女王も長年両国の歴史のとげをいかに抜くかに心くだいておられたのだ。この後、オランダにおける日本の印象は大きく変わった。日本は、皇室外交という大変な財産を持っているのだ。
話を変え、報道では最近、中国が妙にはしゃぎだしていて、米がアフガニスタンでの主導権を失う中、中国は国内で、米中対立での中国の勝ちを述べたりしているそうだ。王外交部長は、「歴史や国情が異なる国に、外国のやり方をそのまま持ち込んでも根付かない」「米は、反省すべきだ」などの発言をしている。これには開いた口がふさげない。漢民族のやり方をそのままウイグル、チベットなどに持ち込んでいるのは、どこの国でしょうか?と問いたくなる。中国は、タリバンとの関係強化を進めているとの情報もあるし、この後、上海協力機構でのアフガニスタンのオブザーバー資格を正式メンバーに引き上げるとの見方も出てきている。アフガニスタンは、大国にとり疫病神のようだと述べる識者もいる。ソ連は侵攻で味噌をつけ、その後のソ連邦崩壊の萌芽をもたらしたし、西側から、五輪ボイコットを食らった。中国もこれから関与して来年の北京冬季五輪がどうなるか見ものでもある。
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