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2020-06-22 15:25
(連載1)香港国家安全法の衝撃とその影響
斎藤 直樹
山梨県立大学名誉教授
2020年5月28日に中国の全国人民代表大会(全人代)において香港国家安全法が採択されたが、本稿はこの背景に触れると共に、同法が内包する意味を踏まえ、今後を展望したいと考える。「中華民族の偉大なる復興」を掲げ「中国の夢」である世界大国の実現に向けて邁進する習近平指導部の目には、高度な自治を主張する香港特別行政区(香港)は忌まわしき過去の植民地統治の残滓と映るであろう。この背景には複雑に捻じれた歴史が横たわることは周知のとおりである。1839年に清(現、中国)とイギリスの間でアヘン戦争が勃発し、清は大敗し屈辱的な南京条約が1842年に結ばれた。1847年に香港はイギリスに永久割譲されることになったが、その後の取引で1997年まで香港はイギリスの租借地となった。150年間のイギリスによる植民地統治を経て、1997年に香港は中国に返還されることになった。しかし、中国共産党による統治下にある中国に香港を返還することに少なからず懸念があった。そうした懸念を考慮して、1984年に「英中共同宣言」が結ばれ、50年間は香港の高度な自治が保証されることが決まった。これが「一国二制度」と言われる所以である。2020年の現在に至るまで23年が経ったが、まだ27年間は高度な自治が保証されなければならないことになる。
また中国国内にはチベット自治区や新疆ウイグル自治区など自治権を主張する地域や、習近平指導部からみれば分離主義志向を強い台湾が存在する。こうした状況の下で、香港の自治を放置することは中国内の自治区の自治権運動を刺激しかねないし、なによりも台湾の動きに火をつけかねないと同指導部はみている。中国内での引き締めを断固図らないかぎり世界大国の実現はいつまで経っても完遂することは難しいと習近平指導部は捉えているのであろう。これ以上、香港の高度な自治を認めるなど悠長なことは言っていられないという焦りが習近平指導部にみられる。2049年までの世界大国の実現を掲げているものの、習近平からみれば、自らが国家主席にとどまるうちに、世界大国の実現を果たしたいと目論んでいるのではなかろうか。香港の自治の形骸化に向けて突き進む習近平指導部が目を付けたのは親中派が多数を占める香港特別行政区立法会(香港議会)で「逃亡犯条例」改正案を採択し、香港の自治を形骸化しようとする試みであった。同改正案は中国当局への容疑者の身柄引き渡しの手続きを簡素化するものであった。当初、「逃亡犯条例」改正案がほどなく香港立法会で立法化されるであろうと習近平指導部は安易に考えた節があったと思われる。これに対し、香港住民、とりわけ若者たちはこの改正案が契機となり自治が著しく損なわれることを案じ、同改正案の完全撤回要求を掲げ2019年6月頃から激しい抗議活動を繰り広げるに至った。
これに対し、わが国を含む各国のメディアが抗議活動と警察の衝突を世界に向けて発信し続けたことにより、香港情勢は世界の関心事となった。こうした中で、9月4日に追い込まれた感のある林鄭月娥(リンテイ・ゲツガ)香港行政長官が同改正案の完全撤回という形で矛を収めようとした。その後2019年11月24日に実施された香港の区議会議員選挙で民主派候補が圧勝を博したことは周知のとおりである。今後、2020年9月に香港の立法機関である香港立法会議会選挙の開催が予定される。習近平指導部が危惧するのは立法会選挙で民主派が勝利を収めることがあれば、香港立法会の過半数が民主派に占められかねないという事態であろう。そうした事態を断固阻止したいと考えた習近平指導部は香港立法会を飛び越える形で中国の立法機関である全人代での立法を通じ香港の自治を形骸化しようとしたのであろう。この布石となったのが2019年10月に開催された第19期中央委員会第4回総会(4中総会)において採択された「法律制度と執行メカニズム」であった。これが2020年5月下旬開催の全人代における香港国家安全法の採択に向けた序曲となったと言える。
新型コロナウイルスの感染拡大問題の事実上の収束を受け開催された全人代で5月28日に「香港が国家安全を守るための法制度と執行メカニズムに関する決定」が採択される運びとなった。これが香港国家安全法である。本来、香港の憲法とされる香港特別行政区基本法(香港基本法)は中国の法律から独立した法体系を持つとされる。その意味で、香港基本法は全人代での立法から独立した存在であるはずであるが、国家の安全という領域において香港基本法の独立性は必ずしも明確でない。まさしく中国の立法機関である全人代での立法を通じ香港基本法を骨抜きにしようとしたものであろう。香港国家安全法には国家分裂を招きかねない活動、政権の転覆、テロリズム、外部からの内政干渉を禁ずる内容が盛り込まれた。したがって、もし2019年に繰り広げられたような大規模な抗議活動が今後行われることがあれば、香港国家安全法が適用され抗議活動が文字通り、弾圧されかねないことが危惧される。またこれに関連して、同法の下で香港立法会選挙において民主派候補が排除されるようなことがあれば、高度な自治を掲げてきた香港の自治は根底から揺らぐことになるであろう。(つづく)
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