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2020-06-09 08:36
(連載2)いわゆる「非伝統的安全保障」について
武田 悠基
日本国際フォーラム研究員
他方、今回の新型コロナウイルス感染症の世界的流行は、いわゆる非伝統的安全保障に含まれると思うが、これを「non-traditional 」な安全保障だと考えれば、少しおかしなことになる。なぜなら中世に猛威をふるった黒死病や百年前のスペイン風邪なども、現在と同様に少なからず安全保障上の脅威であったはずだからだ。また、それを能動的に継承するという意味での伝統性もなかろう。他方、これらの疫病が、国家間戦争のような「通常の」安全保障とは「異質(unconventional)」であったとはいえる。
すなわち元々の「conventional」「unconventional」の二分法は、個々の現象の定性的な比較に立脚したものであり、本来的には「時間」とは乖離した概念といえる。時間の概念を入れてしまうと、「伝統的な」問題は今後消滅する運命にあり、「非伝統的な」問題のみが今後、質・量ともに増えていくというイメージを与えかねない。両者の境目はどこか、「非伝統的な」問題はいつ(か)「伝統的な」問題になるのか、という問いも生まれよう。しかし、現状の世界秩序がある限り、両者はいかようにか共存していくはずであり、上記のような時間のベクトルに基づく区別は、あまり意味を持たないのではないか。したがって、個人的には従来の「conventional」「unconventional」の二分法のほうが、やはり適切ではないか、と考える。いずれにしても、現在「非伝統的な」問題もいつかは「伝統的な」問題となり、長期的には、その区別に固執する意義も薄れるであろう。
また、可能性として留意すべきは、「非伝統的安全保障」と一口に言っても、その意味するところは開かれた民主的国家と、権威主義的国家にとってそれぞれ異なり、よって異なる対応が想定されるということである。端的には、各国は非伝統的安全保障における脅威から、国家主権だけを保護できればいいのか、または同時に自国民の人権・人道的保護にどれだけの比重を置くか、差が見られよう。伝統的安全保障上、各国はそれぞれ一国家として、自国に向けられた軍事的脅威にどう対応するか、という対称的な認識を前提とする。片や非伝統的安全保障では、その脅威はある国から発せられるものに留まらず、様々なかたちで齎される。例えば国際的テロ対策協力であっても、民主主義国において「表現の自由」に基づいた平和的な抗議活動の手段がある一方、権威主義国では国内の反政府的言動は全て「テロ」等の犯罪として取り締まられる可能性があり、例えば9/11同時多発テロ事件以降の国際的テロ対策協力では、一つの問題に主要諸国が「反テロ」で一致団結したかに見えて、その対応は真に国際社会でのテロ撲滅を目指しているのか、自国政府の国内圧制を正当化するためなのか、対応の違いが指摘されてきているところである。特に後者の場合、それは国家主権を強化するものとして、逆説的にも国家として伝統的な対応事象である。
「歴史の終わり」をいまだ迎えていない現代世界では、その是非は別として民主主義国と非民主主義国が共存しており、両陣営にとって、非伝統的安全保障問題は国際協力においてひとまずの前向きな落としどころとなりがちだが、同床異夢、はたまた一方が共感しかねる他方の「正当性」にお墨付きを与える結果になりかねない宿命的な根源を内包しているのである。権威主義国がそうした目論見の下、積極的に非伝統的安全保障問題における国際協力を推進しているとすれば、民主主義国にとってはそれ自体が「シャープ・パワー」として非伝統的安全保障問題であり、「非対称な」脅威となりうるのである。こうした視点を念頭に、非伝統的安全保障研究は今後ますます重要な課題となっていくことであろう。(おわり)
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(連載1)いわゆる「非伝統的安全保障」について
武田 悠基 2020-06-08 17:34
(連載2)いわゆる「非伝統的安全保障」について
武田 悠基 2020-06-09 08:36
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