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2006-12-27 23:03
東アジアのエラスムス計画について
四条秀雄
不動産業
明治以来日本の知性は、欧米との比較において、近代化した日本人に関するアイデンティティーの危機に晒されてきました。表面上は和魂洋才で西洋化に成功した日本でしたが、夏目漱石を始めとして明治知識人の多くが、近代化を内発的に生み出しうる知性が日本の文化にあったのかという疑念に苛まれてきました。その後この疑念は、国際情勢が変化するたびに再発する文化的な病となりました。時代が変化する際には、まさに知性の本性が問われるからです。戦争中の「近代の超克」論や、明治初期や敗戦後などの時代の節々に現れる「西洋語の公用語化」論などは、そうしたものの例だと言えます。
人間に違いが無いと仮定するなら、日本と西洋の違いは、言語と教育システムにあるはずです。考えるということは、言語の作用であることは間違いないし、その作用を時間を通じて蓄積し伝達していくのは教育システムであるからです。それ以外のものは、蒸気機関車からマルクス主義まで、モノや出版物として表現されているために、真似をすることが可能です。しかし言語活動と教育システムは、その作用と過程が頭脳の中で行われ見えないために、真似することはなかなか困難です。この辺の説明は、最近雑誌の紹介で知った三森ゆりか氏の「外国語で発想するための日本語のレッスン」によくまとめられていると思います。
欧米の美術館でよく行われているテーマ解釈に基づいた展示会や、最近ヒットした「ダビンチ・コード」などの脚本が成立する文化的土壌などは、「テキストの分析と解釈・批判」が数百年にわたり教育システムに組み込まれていて、初めて成立します。つまり数百年前の欧米人が、現代の欧米人に謎を掛けえるのは、テキストが時間を超えて持続し続ける存在であり、過去において分析と解釈が試みられているためです。そして、現代の欧米人がその分析と解釈を再現できるからこそ、展示会や脚本が可能となるのです。そして、名著とはこうした個性的独創的なテキストの分析と解釈のまとまりであり、図書館とはその集合であるのでしょう。日本の図書館のように単なる出版物の集合ではないのでしょう。日本の本は、その内容が時の変化に耐えないのに比べて、欧米で評価された本は、分析と解釈が再構成出来るが故に現在でも利用が可能になりえます。埋もれていた発想が再発見されることもありえます。時間に対する耐久力が全く違うのでしょう。日本は、漢字の伝達性と大量の翻訳で、かろうじて欧米の知性にすがりついているという状態でしょう。日本の大学教授達が、全て「テキストの分析と解釈・批判」の方法を身につけて、それに基づいて本を残せるような状態に、なんとかもっていかないとなりません。
言語的な相違に加えて、こうした教育システムの違いに気づくことが、近代日本の文化的な病への対処法になるでしょう。あるいは、タイのような発展途上国から中進工業国への移行に直面している非欧米諸語圏の、世代をまたがる知識の伝達への対処法になるでしょう。初期の工業化は、1世代の留学生でも成し遂げることができるでしょうが、人口規模の大きな中進工業国が更にいっそうの高度工業化を進めるには、教育システムが重要になります。成長を多少犠牲にしても、国民が自ら日記や伝記を書いたり、ノウハウ本や技術書を書いたり、雑誌を書いたり、豊富な情報交換社会を形成する必要があります。それ無しに高成長を追及すると達成した水準の安定が確保できず、必ず挫折するように思えます。日本は経済成長で成功したと言われていますが、それでも150年掛かっていますし、実際には3世代に渡る成長の2度目のチャレンジをしている最中ですし、再び3代目で失敗するかもしれません。複数世代にまたがる成長を続けるのは結構難しい。タイもまた、そのような時期に来ています。タクシン型の高成長を狙うよりも、情報交換の厚さ・濃密さを狙った文化的な底上げを成長の柱に据えたほうが良い。韓国や台湾は、漢字と日本統治によって、この壁を意識することなく超えたのだと思いますが、漢字文化圏から離脱した韓国については、今後が危惧されます。
その一方で、従来の日本の言語教育の長所も考慮しなくてはいけません。三森氏の本でも触れられているのですが、日本の国語教育は同調性を暗に要求する傾向が強く、このことが社会の安定性をもたらしている理由の一つである事は間違いないだろうと思います。以前に、日本語の特質は同調性と情報交換性にあると書きましたが、助詞などがない英語では叙情性を生み出すためには韻などの工夫が必要なのに対して、日本語の世界は擬音擬態語を含めて遥かに叙情的で詩的な世界だと言えるかもしれません。日本の国語教育が同調性という言行のパターン化よりも、世界と話者を助詞が仲介している叙情的な世界観において話者と聞者が入れ替りえる共感性を維持する方向に向かえば、「テキストの分析と解釈」の言語教育と共存ができるでしょう。こうした二本立ての言語教育が望ましいように思います。
さて、もう一つの言語教育である漢字学習については、これから増えるだろう在日外国人を念頭において、まず会話言語としての日本語段階と表記記述言語としての日本語段階を両端において、利用できる漢字数に基づいて段階化していくのが良いのではないかと思います。そして、漢字の段階は生活レベルから抽象度が高くなるレベルまでグループ化するのが良いのではないかと思います。例えば、子供や在日外国人が最初に覚えるグループは、身近なモノや身体や高低・広狭など一般的な抽象概念など、そして生活の行動半径に応じて、道路でよく出くわす漢字グループ、会社でよく使用される漢字グループ、学問的議論で使う漢字グループなどに分けていくと使用効率が上がるのではないかと思います。外国人向けに、各漢字の抽象性を各国語で記述するウェッブサイトなども作るべきでしょう。
また、旧漢字をどうするか、何字を覚えるべきかという問題は、漢字がカバーしている抽象性が、現代世界の現実を記述するのに足るかどうかを判定して、新しい抽象性の単位を必要と考えるなら追加すべきであろうと思います。例えば、ネットワークやコンピューターやIT関係は、漢字の提供する抽象性世界をはみ出ている場合が多いと言えます。ルーターやゲートウェーは基本的単位ですから、何か一字を充てるべきかもしれません。例えば、「束」という漢字の使用頻度を増やし、その重要性をもっと引き上げていくべきかもしれません。ルーターは「配束器」、ゲートウェーは「集束器」、光ファイバーは「光繊維束」などなど、ネットワークの本質の一側面は束ねることにあることが、無意識に理解できるようになります。あるいは、IT社会をパケットに注目して観ると、「包」を中心にしてカタカナ語を漢語に転換できるかもしれません。TCP/IPパケットはTCP/IP包、ネットワークは「包束網」などと記述できるでしょう。
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