まず、安倍総理の談話についての立場は、当初の基本姿勢からは大分軌道修正をしていると見られる。というのも、総理は、今次内閣就任そうそう国会で、「侵略」には定義はないと真っ向から中韓を批判する姿勢をみせていたが、今回の談話の内容は、「侵略」、「植民地支配」、「おわび」のてんこ盛りと言ってもよいものだった。談話には、中学、高校生が復習するかのように、日露戦争、満州事変など歴史のキーワードが並ぶ。安倍総理の支持基盤であるいわゆる「美しい日本」のグループが嫌う次の世代へ責任の引き継ぎについては、「永劫の、哀悼の誠を捧げます」(英文では、I express My feelings of profound grief and my eternal,sinnsece condolennces.)となっており、後に禍根を残すものとなった。
米メディアでは「OLD JAPAN and TODAY’S CHINA」との表現があるが、今の中国の言動は、昔の日本と同じであると言われても仕方がない。また、この文章は、安倍総理の考えを、与党・政府のエリート集団が寄ってたかって、細目に批判防止の予防線を張り巡らせた造作物といったものであろう。韓国からの、「この談話は、いろいろ考えて作成している。もう少し読み込んでから意見を述べたい」との言い方も頷けないことはない。いずれにしても談話の最大の欠点は、対象がどっちつかずになっているということだ。最後に歴史に興味のある方々にリマインドすると、全体主義国家の中国の歴史学界は、一次史料の読解の基本的知識、史料に基づくミクロの研究など、きわめて制限されていて、先進国とは土台が根本から違うということである。国家に都合の悪い部分は任意に削り、中国の公式の歴史観を補強する材料にするということだ。