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2015-05-08 12:37
「訪米成功に浮かれてはいけない」を読んで思う
中山 太郎
団体非常勤職員
5月7日付けの姉妹e-論壇「百花斉放」に掲載された鍋島敬三氏の投稿「訪米成功に浮かれてはいけない」の内容に大賛成だ。鍋島氏が述べるように、今年8月15日の安倍談話は、今回の安倍総理の米議会での演説に勝るとも劣らない日本の今後にとり重要な談話だ。ただ、私の長い中国やアジアでの生活体験から、草の根の皮膚感覚として次のようにコメントしたい。
中国は、本年9月に「抗日戦争勝利70周年記念式典」を計画している。軍事パレードと習近平主席の演説内容が注目されるところであるが、面白いのは、普通なら中国はこうした大規模式典開催に合わせ、演説材料の仕込みも兼ね、内外の学者を動員した大規模シンポジュームなどを開催するものだが、私の知る限りで未だに聞いていない。知り合いの欧米人学者にも案内は来ていないようだ。中国は、言われるように、国内に山積みする難問解決に強硬外交路線をひとまず脇に置き、日本との協力を真剣に考えているのかどうかは定かではない。一時期、強硬外交路線をやめたとしても、中国の基本方策であるアジアそして世界への力による進出は止めるわけではないのだ。日本人の知人は、中国が大規模シンポジュームを開催しないのは、抗日戦争の当事者は、共産党ではなく国民党であるし、韓国に至っては大日本帝国の一員として戦っており、普通のメンタリティーの人間なら恥ずかしくて学術会議どころの話ではないと述べている。
そうした要素は十分考えられるが、いつもながらの中国の隠遁的な外交ビヘイビアだ。単細胞の日本人は、それ、雪解けだ、各分野での交流再開だと騒ぎ立てるだろうが、いつどこかで手厳しい背負い投げを食らわないように用心するのにこしたことはない。村山・小泉談話の核心であるアジア諸国に与えた損害と苦痛に対する反省やお詫びを、安倍談話では、どのように表明するかがポイントとみられている。しかし、いかなる工夫をしても満足を得られないであろう。日本で評価が高い、シンガポールの故リー・クアンユー元首相は、かってその雄弁力をもって「日本は、過去の反省と謝罪がない」と、欧米などの講演でさんざん述べていたことを日本人でも聞いた人がいるだろう。
被害者と加害者の関係は、誰かの言い分ではないが、千年続くものと覚悟を決めるより仕方がないのではないのか。孫子の代に損害がなるべく行かないように工夫するよりほかないだろう。最近、欧米から来た某歴史学者が「第二次大戦後しばらくは、皆復興に血なまこで、敗戦国日本、ドイツは貧乏のどん底で、金をふんだくれる対象にはならなかった。アジアにおいては、中国や韓国が歴史問題を騒ぎ出したのは、やっと80年代以降からだ。中国は、靖国、教科書、南京事件、韓国は、靖国、教科書、慰安婦が、その頃の主なテーマであった。日本は弱腰だし、自国の人権問題などのカムフラージュになり得るとして、外交カードとして、しばしば使うようになった。特に現在のような世界全般の経済状況が思わしくない時期には、国内問題から目をそらさせる、良い武器となった」と述べていた。参考にしたい意見である。
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