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2012-09-28 23:03
掟破り・石原暴走外交の結末(三論)
若林 洋介
学習塾経営
石原都知事の「尖閣購入」宣言は、米国の地(ワシントンのシンクタンク)で行なわれた。このことは都知事が、「尖閣購入」は、日本の外交政策の表明であることを自覚していたということなのだろう。石原都知事の外交パフォーマンスの稚拙さは、「一国の外交政策には一貫性が必要だ」という点がまるで欠如している点にある。たとえば、今回の「尖閣購入」問題にしても、石原都知事が実行にうつせば、当然中国からの猛反発、さらには一定の報復処置というものは必然のことというのは折込み済みでなければならないはずではないか。テレビ番組においても石原都知事自ら「レアー・アースの輸出停止」「フジタ社員の逮捕・拘束」などと同様の報復措置の可能性を認める発言をしていたではないか。
だとすれば、その後始末は誰がするのか。石原都知事は「オレには外交権限がないから、本政府におまかせしたい」ということなのか。自分が派手に外交パフォーマンスをしておきながら、その後始末を「政府にお願いする」ということなら、石原都知事は単なる無責任政治家ということになる。子どもの不始末を、親が責任をとるという図式と同じではないか。日頃、石原都知事は「日本政府には外交政策を遂行する能力がない」と日本政府(外務省)と批判していたが、その外交能力のない日本政府に対して、こじれた問題の後始末は、日本政府にお願いするということであれば、無責任もはなはだしい。一国の外交政策は一貫性が必要だからこそ、国民から選挙によって民主的に選出された正統性を持つ政府(内閣)の権限事項なのではないのか。「尖閣国有化」という外交課題を実行に移そうというのなら、単なる石原都知事の個人的パフォーマンスでやってはならず、政治的タイミングも含めた用意周到で首尾一貫した日本政府のイニシアチブにおいてなされるべき課題であったのだ。東京都と日本政府のチグハグな二元外交がいかに悲惨な結末をもたらし、日本国の大きな国益を失う結果に至ったのかを、日本国民は自覚しなくてはならない。
今回の中国政府の過剰なまでの反応には、石原都知事が一民間人ではなく、日本の首都の知事という公職の立場にある人物の発案に始まった一連の国有化工作という認識が背景にあったということだろう。石原都知事・石原自民党幹事長・野田首相らが巧妙にしかけた「尖閣国有化政策」であると認識したということなのではないか。そこに胡錦涛政権の怒りがあり、後継者・習近平の「日本政府の尖閣国有化は茶番劇だ」という発言があるのではないか。つまり中国首脳部は、「日本政府にいっぱい食わされた」という認識があるのではないか。そういう分析もしっかり行なう必要がある。今回の不幸な点は、日本側における東京都と日本政府のチグハグな二元外交の結果としての「尖閣国有化政策」が、中国側においては日本側のチグハグな二元外交を装った巧妙な一元外交政策として「尖閣国有化政策」が受け取られたために、「いっぱい食わされた」と誤解された点にあったのではないか。
かつて関東軍が起こした満州事変によって、幣原外相がその国際協調外交によって築きあげてきた国際的な信用を日本は一気に失ってしまい、国際連盟の脱退にまで追い詰められた。このときも関東軍の暴走の後始末を、日本の外務省はさせられたのであるが、新渡戸稲造国際連盟事務次長以来、築きあげられて来た国際連盟における日本の信用は一気に失われるに至った。そのことは、当時の杉村陽太郎(国際連盟事務局長)の『国際外交録』に、その無念さが切々と述べられている。今回の中国側の襲撃の対象に、パナソニックなど、日中関係の友好的発展に尽力して来た企業(工場)まで含まれていたことは関係者にとってはショックであったに違いない。パナソニックと言えば、松下幸之助会長が鄧小平副主席の招聘を受けて以来、日中経済協力の架け橋として模範的な企業であり、関係者も長年努力を積み重ねて来た企業であるからだ。今回の石原パフォーマンス外交の結末は、これからも大きく日中関係に影を落としていくに違いない。今日に至るまで、良好な日中関係の構築に地道に努力して来た日本の企業人たちの努力をこれ以上踏みにじることは、けっして許されるべきことではない。
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