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2012-04-24 12:46
(連載)エネルギー問題の複雑さ(2)
加藤 朗
桜美林大学教授
さて、この化石燃料のエネルギーがいつまで持つかだれにもわからない。石油や石炭、メタンハイドレート、オイルサンド、シェールガス等の埋蔵量を合わせれば、ここ数十年、数百年は問題はない、との予測がある。しかし、いずれは限界が来る。また過去の太陽エネルギーの放散が原因である温暖化の弊害を考えれば、いつまでも化石燃料には依存できない。いつかは化石燃料以外の燃料すなわち地球上のほぼ全てのエネルギーの源である太陽エネルギーを直接利用することによってまかなわなければならなくなる日が来る。しかし、化石燃料分のエネルギーを太陽エネルギーで補おうとすれば、植物のように効率的に太陽エネルギーを炭素エネルギーに変換したり、また化石燃料のように太陽エネルギーを大量に貯蔵できる技術ができるかどうかにかかっている。仮にそうした技術ができたとして、はたして環境にどのような影響が及ぶか、実は誰にもわかっていない。
太陽エネルギーがあたかも究極のエネルギーのように語られているが、実は太陽エネルギーの多くを人類が利用した場合、他の動植物や気象、海象等にどのような影響がおよぶかは未知である。しかし、これだけは言える。その程度はわからないが、環境に影響を与えることは間違いない。というのも、一年間に太陽エネルギーが地球に与えるエネルギーの総量は今も昔も、多分未来も変わらない。光エネルギーに換算しておよそ174PW(ペタワット)である。現在の地球上のほぼ全ての生物が太陽エネルギーを受け、生存している。その一部を、たとえば地表面を太陽光パネルで覆うことで収奪した場合、その影響はたとえば微生物や昆虫、草等の地中、地表のレベルで大きな影響を与えるのではないか。食物連鎖の結果、最終的には、人間の食料生産にも甚大な影響を与えかねない。また風力、波力発電も元をたどれば太陽エネルギーである。太陽エネルギーを電力エネルギーとして取り出した場合、その程度がどれほどのものになるかはエネルギーの簒奪の規模によるが、気象、海象に何らかの影響がでるのではないか。
現在は、こうした太陽エネルギーの利用がごくわずかなために、太陽の地球への入射エネルギーと宇宙への放射エネルギーのバランスがとれており、地球規模の環境にはほとんど影響を及ぼしていない。しかし、現在の原発のエネルギーや化石燃料全てを太陽エネルギーに代替させようとすれば、環境に大きな影響が出てくるのではないか。環境問題はひいては社会や政治の問題をも惹起する。現在の太陽光パネルの技術レベルで、人類のエネルギーを全て太陽エネルギーで代替させようとすれば、ゴビ砂漠の半分に太陽光を敷きつめればよいという。しかし、それはたんに計算上の問題であり、実現は不可能である。太陽光発電に適した国や地域もあれば、まったく不適な場所もある。
環境への影響を避けようとすれば、太陽エネルギーや化石エネルギーへの依存を減らし、エネルギー消費を減らせばよい。たしかに先進国では必ずしも人間の生存に直接関わるギリギリのエネルギー消費のレベルではない。だから節電も可能である。しかし、発展途上国では、エネルギーがそもそも不足している。たとえば煮炊きに使う薪を節約すれば、それは直ちに死を意味する。それを防いでいるのが先進国からの食料支援だ。その食料は元をたどれば豊富な化石エネルギーの賜物である。要するに現在の70億人の人類が生存可能なのは、我々が太陽から得ているエネルギーと、石油、石炭等の化石燃料に蓄えられた太陽エネルギーそして核エネルギーがあるからだ。もし原子力発電も化石燃料も止めて、全てを現在の太陽エネルギーによってまかなおうとすれば、単位時間あたりの太陽エネルギーの量が同じである以上、人類全体からみて核燃料や化石燃料のエネルギーに依存していた人口は生存できなくなる。太陽エネルギーの時代には、単位時間当たり限りある太陽エネルギーをめぐって、あるいは太陽エネルギーが豊富な地域をめぐって、植物が日当たりのよい場所を求めて生存競争をするように、国家や人類同士で戦争をすることになるかもしれない。太陽エネルギーは我々に決してバラ色の将来を約束するわけではない。(おわり)
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(連載)エネルギー問題の複雑さ(1)
加藤 朗 2012-04-23 20:05
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加藤 朗 2012-04-24 12:46
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