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2006-07-03 20:09
「日中は同文同種」、「アジアは一つ」論を見直すとき
四条秀雄
不動産業
ここ十数年のグローバル化で、日本にも沢山の外国人がやって来ています。そうした経験の中で、今まで知られていなかった真の言語的距離が分かってきました。それを知ることは、東アジア共同体論に重要な視角を与えると思うので提起して置きたいと思います。
結論から言いますと、中国や米国は、日本とは言語文化的に遠く、韓国やモンゴルや中央アジアやインドやバングラは、日本に近い、そして、ロシアは中国よりも近いということです。例えば、大相撲の朝青龍などのモンゴル人の日本語を見てください。まるで日本人のように話し、話の内容も日本人のようで違和感がありません。韓国人も同じです。その他に皆さんはご存知無いかもしれませんが、バングラディッシュ人、パキスタン人、インド人も違和感のない話し方をします。
日本人は、外国人と言うと、これまで中国人や欧米人しか知りませんでしたので、自分達がいかに外国語が下手で孤立しているかという感覚に苛まれてきました。しかし、多くの諸国人と接するうちに、自分達に近い人々が存在していることに気づき始めているのです。それらの人々は、中国をぐるりと取り巻いた地域に住んでいます。東南アジアは、中国に近い地域で少し違いますが、ロシアは明らかに言語的に近い人々です。
日本人と、これらの日本語をうまく話す人々との違いは、日本だけが、表面上の諦め、無常観、執着心を抑制する文化を持っている点です。これは島国のためでしょうか?地理的特性で文化を見るとイギリス人と日本人は確かに似ています。彼らは、日本人に比べて執着心が強く剥きだしですが、その他の点ではメンタリティーが非常に似ています。米国人と日本人は、まるで違っているために非常に人工的で現代的で文明的な関係ですが、これはこれで良いのだと思います。基層のところで自然な関係を築ける国が潜在的に存在していることは、留意しておく必要があると思います。
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四条秀雄 2006-07-03 20:09
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