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2009-11-22 07:30
事業仕分けの限界と民主主義の難しさ
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
果たせるかな、事業仕分けの結果について各方面から異論や反論が続出している。日本学術会議、日本地球惑星科学連合、さらには日本オーケストラ連盟などの名前が挙がっている。考えてみれば、これは当然の話で、租税特例措置(所謂「租特」)の見直しに当たって、いままでその恩恵にあずかっていた業界が諸手を上げて賛成する筈もない、のと同じことだ。一般論として、ある措置を廃止する時、実害を被る人々あるいは組織が特定少数で、それによって恩恵を被る、あるいは利益を受ける人が不特定多数、いわば拡散してしまっている時には、民主主義の原則からいうと、その措置の廃止は実現しそうなものだが、現実には「ハンタイ」の声が結集し易く、ためになかなか事が進まないのは、周知の通りである。
ちなみに、利益・不利益の関係が逆の場合でも、事態は同じである。これは、いささかなりとも社会科学を学んだものにとっては、常識に属するし、事業仕分けであれ、租特であれ、別に新規な事態が発生した訳でもなんでもない。彼我調整の手綱捌きが問われる、というだけの話だ。しかし、事業仕分けについては、それ以外に一つ悩ましい問題が背後に存在するので、それを指摘しておこう。それは、政策の優先順位を定量的に決定する、あるいは(同じことだが)表現する、ことの難しさだ。安全保障と環境保護と文化芸術といった、まるで領域の異なった政策課題に対して、有限の財源をどのように配分したら良いか。計量経済学や財政学の学徒の中には、小難しい数式を駆使すれば配分は可能だ、という説をなす人もいるようだが、所詮は、納得づくで折り合いの付いた条件のようなものをどう数式化するか、というだけの話に過ぎないのがおおかたのようだ。
まあ、そうしたおおまかなプライオリティ相互間の関係については、何らかの形で折り合いがついたとしよう。この折り合いのつけ方についても、密室で一部の人々が「談合」するか、プロセスを公開するか、という重要な論点があるが、それも別論だということにしよう。で、ことは、話が細かくなるにつれて、余計紛糾する。例えば何らかの話し合いの結果、「芸術文化の振興」みたいな標題の下で、ある金額の予算が付いたとしよう。古典芸能と西洋音楽、さらには学術研究相互の間にどうやって割り振るのか。
いうまでもないがこれは例示に過ぎない。絵画・彫刻から文学にいたるまで、ジャンルは無数である。もっといえば、西洋音楽の中で、オーケストラとオペラ、バレエと声楽、打楽器と弦楽器と管楽器の間に、どういう基準で配分したら良いか。そんな客観的なものさしを合意の上で制定するのは、いかにも困難そうだ。ということは、事業仕分けという手法は、明らかに実施過程においてムダや重複があったり、不合理性が認められるものを摘出するのには極めて適しているが、こうした価値相互間の比重決定を求めるのは、木に拠って魚を求める話だ、ということが知られるであろう。残念ながら「黙って座れば、ピタリと当たる」手法は、政治の世界には存在しない。妙にそんなものを振りかざす手合いの危うさに付いては、詳論するまでもあるまい。さても民主主義とは厄介な政治形態だ。
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