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2009-03-09 11:49
クリントン米国務長官のアジア歴訪とアジア・イスラムの再評価
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
あまり日本では報道されなかったが、先のクリントン米国務長官のアジア歴訪の最後に、彼女がインドネシアを「イスラムと民主主義、そして近代性が共存し得ることを世界に示している」と述べ、さらに7月バンコックで開かれるARF閣僚会議出席を確約したことは印象的だった。これまで、イスラムと民主主義・近代性の共存といえば、アタチュルク以来のトルコというのが相場だった。世界で最大のイスラム人口を擁するのは、インドネシアであり、それに続くのはインド、パキスタンだ。
歴史的・哲学的にイスラムの正統派を以て任じるアラブ諸国では、アジアのイスラムは「なにやらいささか亜流だ。世俗に流れすぎる」という認識が少なくないこともあって、あまりアジアをイスラムの文脈で考える人は多くなかったように思う。にわかにヒラリー・クリントンのコメントが出た背景には、一つにはオバマの出自もあってのことではあろうが、このところAKP政権下のトルコが言論の自由その他で各種の軋轢が目立ち、EU加盟の是非を巡って議論が絶えないこと、さらにはタリバンがパキスタンに潜伏し、アジア・イスラムの問題が大きくクローズアップされてきたことにもよると思われる。
さらに、彼女のARF閣僚会議出席は、ともすると東南アジアからは距離を置きがちだったこれまでの米国の政策の方向転換とも読み取れなくはない。もちろん米国の政策のアジア接近は歓迎すべき要素ばかりとはいえないが、対話による世界政策運営に大西洋だけではなく、太平洋からインド洋が視野に入ってくることは大歓迎したい。中国が空母建設に踏み切ったこの時点では、特にそうだ。
日本ほどではないにしても、財政赤字をなんとかしなくてはならない米国だが、世界的に影響力を保持し続けてもらわねばならない事情はいっこうに変わっていない。米国との関係を「追随か、対等か」などという幼稚な二項対立でとらえたり、安全保障を軍事問題だけで割り切ったりする時代は過ぎたように思う。米国が自国中心主義から対話路線に転換を宣言したのは大いに結構だが、対話の相手には、知恵を出す責任が同時に発生する。世界経営、あるいはアジア経営について、日本がどんな知恵を出すのか。今度は「日本に最初にきてくれた」と浮かれてもいられない。
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