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2009-02-28 16:56
国民的選択のときにおける政治家の不在
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
オバマ大統領は、米国の財政赤字が累積で11兆ドルを超える、として緊急事態を宣言した。日本のそれは800兆円、端数はともかくとして8兆ドルである。米国の人口もGDPも日本の約3倍であることを考えれば、日本の「緊急事態」度は米国の2倍以上だといってよいだろう。しかし、最後にそれについて言及した小泉首相の後は、よくておざなり、悪くするとそんなものは忘れてよい、位の対応である。オオカミ少年ではあるまいし、危機をあおるだけが能ではないが、ここに至ってもなお道路や新幹線を作りたがる人々というのはどのような精神構造か、と疑いたくなる。
オバマのカリスマ性は求めるべくもないが、子々孫々に8兆ドルのツケをまわして、本当に平気なのだろうか。気休めの議論は例によって事欠かない。「なに、インフレが来ればいっぺんにチャラだ。名目成長率を長期金利より高くすればよい」等々。それに与しないで事態をなんとかしようとすれば、「福祉、教育、ODAをぶった切って、プライマリー・バランスを回復すればよい」という話になってくる。もちろん即効薬も秘策もあろうはずがないが、どうするかについて正面切った問いかけがなされたことはあるのか。
ホワイトハウスに識者120人を集めて3時間議論をしたというオバマは、少なくとも結論について、国民世論の趨勢を問うたというポーズはしてみせている。これに対して、すり寄る御用学者を集めたわが国のナントカ会議とか、ナントカ委員会というのは、官僚のお膳立てした筋書きを再確認するだけの場にすぎない。官僚機構というのは単年度主義だから、子々孫々に責任を負う必要はない。責任を負うはずもなければ、負えるはずもない人に、将来を委ねてよいのか。
政治家に負わされた責務がこれほど大きいのは、近世では大東亜戦争開戦時と、日米安保条約の選択時以来ではないか。一度は失敗し、一度は成功した(と筆者は考える)。さて、今度はどうなるか。というより、ガタガタの麻生政権が、あるいはその後継内閣が、衆議院を解散したとき、どのような選択肢がわれわれの前にあるのだろうか。誰が考えてもほとんど絶望的だというほかはあるまい。ならば黙って責任を負えるはずもない人々に、我々の将来を託するのか、それとも唯一の異なった選択肢である「市民社会」に賭けるのか。選択するのは、他でもないわれわれだと思う。
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