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2009-01-24 01:46
「世の中」のせいにする前に、自分でできることからやろう
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
貸し渋りだ。借り剥がしだ。失業率が増加傾向にある。非正規労働者の悲鳴が聞こえる。自動車が売れない。小売りが不振だ。GDPはマイナス成長だ。「ゆき過ぎた改革」の付けが回ってきた。さあ、景気の底上げだ。ケインズでゆこう。大合唱の台詞は、まだまだいくらでもあるが、こんなところが通奏低音とでもいうべきではないか。「世の中」のせいにするのは容易い。しかし、その「世の中」を作っているのは誰か。米国発の金融危機だ。グローバリゼーションだ。日本だけで出来ることなどあろうものか。要するに「世の中」が悪い。自分で出来ること等ないから、藁をもつかむ心地で、公的投資の乗数効果に期待したい。
とんでもない詭弁だと思う。オカネが回らない。貸し渋り、借り剥がしが横行するといわれながら、銀行は、高利のサラ金にしか、貸出先をみつけられず、暴力団の地上げになら金を貸す。預金者にはゼロ金利に等しい条件しか出さないのに、住宅ローンはちゃっかり数パーセントの金利をとる。米国自動車産業ほどではないものの、そんな銀行の経営者が、幹部クラスが、どれほどの給料を取っていることか。非正規労働者をあっさりクビにする前に、ワークシェアを考えたことがあるか。正規労働者の労働組合は(いかに組織率が低いとはいえ)どんな態度を取ったか。等々。要するにその気になれば「自分で」出来ることは一切棚上げして「世の中」のせいにする。黒沢の「赤ひげ」を思い出させるではないか。
かつて「貧しいが平等」という社会主義、あるいは共産主義の理想を、市場経済は嘲笑した。それが繁栄の宴の後では、いまや「格差是正だ」と喧しい。耳に入り易い議論はいつの世にでも存在するが、その多くは顧みて他を言う場合が多い。他力本願で往生できるのは、仏教の世界だけではないか。いま、われわれ自身の手で出来ることは何か、と問うてみたい。待っていても、誰もやってくれないからだ。地道に民間非営利組織を中心として市民社会の構築に取りかかる時だと思う。何も当世流行のNPOに限ったものではない。自治会・町内会から始めるのも一案だ。
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