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2008-11-24 11:44
レトリックを知ってこそ政治家
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
今年1月、当時国務大臣をお務めになっていた大田弘子さんの国会答弁にいたく感動してエールを送ったことがある。歯切れよく「日本の経済は一流ではなくなっている。その元凶は守旧派であり、構造改革の遅れだ」と、まあそんな要旨だった。ところがその直後に、竹中平蔵氏(一部メディアでは、大田氏は彼のエピゴーネンに過ぎない、みたいな書かれ方をしていたのをご記憶の方も多いと思う)が、「近頃の政治家には政治のABCも解っていないのがいる」と述べた。腹の中ではどう思っていても、パブリックな場所では「日本の経済は一流だ」といって、始めて政治家だという訳だ。
その伝で言うと、昨今の与謝野経財相の発言はどういうことになるのだろうか。まあ、陰々滅々たる語り口のことは問うまい。「日本経済のプラス成長に自信がない」と現職の担当大臣が発言すれば、それはABCどころの話ではないのか、それともこれは別な話なのか。仮に本当は自信がなくても、脳天気に「全治3年、なあに、再来年には何とかしますよ」というのが政治家というものだ、という人もいるだろう。与謝野大臣が財政再建路線で、増税派だというのは、誰でも知っている。(これも一部メディアがいうように、財務省のスポークスマンであるかどうかは知る由もないが)、しかし、コップにまだ半分水が入っている、というのと、もう半分空だ、というのは、どちらも真実だが、その与える効果は違う。そのレトリックを知ってこその政治家ではないか。あれほどの識見を持ちながら、なぜ与謝野さんが選挙に弱いのか、少し解ったような気がする。
元気印で明るいことだけを吹聴する政治家と、陰気な顔で悪いことだけを予言する政治家の二者択一では、国民はたまらない。素敵な独裁者と衆愚政治の民主的指導者を選べとか、自殺するのにピストルと首つりとどちらを選ぶかと言われているようなものだからだ。民主主義とは、優れて調和の技術の筈である。
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