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2008-09-29 20:30
澄田智元日銀総裁の逝去を悼む
近藤健彦
明星大学教授
プラザ合意当時に日銀総裁であった澄田智氏が9月7日にお亡くなりになった。プラザ合意23周年の直前だった。プラザ合意の後の日本のバブルを作ったかのようにいわれた。ご自身は、1996年10月24日のプラザ10周年記念シンポジウムで、予定原稿にはなかったのだが、「公定歩合引き上げを考えるタイミングがずれていったのは偽らざる事実、そこはまったく率直に認める」と発言された。プラザ合意の頃のG5蔵相・中銀総裁会合に何度かたまたまご一緒しての印象であるが、澄田金融政策は一貫して対外均衡をにらんでいた。内向きでなく、外に開かれていた。その意味ですでに21世紀型のグローバルな金融政策を指向しておられたのではないか?
行き帰りの機内では分厚い洋書を読んでおられた。当時若かった私は素朴に飛行機の中で洋書の原書を読む人に日銀総裁になってほしいと憧れた。フランス語がお得意で、BIS(国際決済銀行)の会合ではフランス語で発言し、それをドラロジエール仏中銀総裁が通訳したと、ドラロジエールから聞いたことがある。大蔵省のフレンチ・スクールの総帥だった。
欧州に単一通貨ユーロができたときには、「君、欧州はすごいね」といわれた。そこで私が半ば愚問を発した。「ジャン・モネとジャック・リュエフでは、どちらが上ですか?」「それはモネだろう」。私は数少ないリュエフ研究者だと自分では思っている。金本位制を除くリュエフがいいと思っている。個人的な思い出になるが、私が拙い『体験的脱欧入亜の記』を出版したときには、「推薦のことば」を書いていただいた。また一人プラザ合意に深い愛着と理解をもつ人がお亡くなりになった。謹んで哀悼の意を表したい。
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