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2008-08-01 17:21
欧州統合の創始者ジャン・モネとその夫人
近藤健彦
明星大学教授
バカンスの季節である。欧州統合の創始者ジャン・モネは山男であった。スイス・アルプスを踏破しながらシューマン・プラン(欧州石炭鉄鋼共同体構想)の想を練った。しかしモネ家では、夫人と二人の娘は海が好きで、夏は海に行った。モネ夫人はイタリア人だった。20歳そこそこでイタリア人実業家の夫人だったのを、30歳を越していたモネが見初めて略奪した。ロシア法で結婚を宣言した。後年、面倒見のいいルルドの司祭が正式の結婚に取り計らってくれたという。
モネは夫人から、人生の深みを教わったとある。モネの回想録に、数は少ないが夫人が登場する。例えば、欧州統合をめぐって最後まで確執があるドゴールが、第二次大戦中初めて彼のロンドンの家に訪ねてくる。夫人が応対するのだが、ドゴールはひどく寡黙だった。晩年、自宅のサロンで、モネは夫人に回想録の原稿を読み聞かせ、夫人は同じ部屋にキャンバスをおいて画作にいそしむ。夫人の絵は、夏休みに出かけた島の景色や花である。二人が若いときに滞在した中国の上海で出会った人物のこともある。
夫人は、昨日までは完成品と思っていた絵に、モネの意見を聞いて今日はまだ欠けているところがあるといって、絵筆を入れる。なんともうらやましき老夫婦である。1979年90歳でモネの死去を報じたフィガロ紙は、モネ夫人の言葉として「晩年のモネはジスカール大統領とバール首相をほめていた。またEMS(欧州通貨制度)の成立をひどく喜んでいた」と報じている。
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