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2008-06-21 23:38
日中のガス田共同開発合意のもつ歴史的意義
櫻田淳
東洋学園大学准教授
尖閣諸島沖で海上保安庁巡視艇と台湾漁船が接触した一件では、台湾政府から「開戦も辞さず」という声が上がるほどまでに、台湾における対日姿勢が硬化した。片や、東シナ海海洋権益摩擦に関連して、日中両国政府は、懸案となっていたガス田開発を共同で進める旨、合意した。古来、領土や資源は、人間の「豊かさへの渇望」に直接に結び付いている故に、人々の対立の火種となりやすいものであるけれども、その対立は、此度は台湾との関係では再燃する方向に働き、中国との関係では克服される方向に働いた。
振り返れば、現在に至るヨーロッパ統合の軌跡の原点にある1950年の「シューマン・プラン」は、独仏両国が境を接するアルザス・ロレーヌ(エルザス・ロートリンゲン)地方の石炭や鉄鉱石といった資源を共同で管理することを趣旨としたものであった。2007年初頭時点で既に加盟27ヵ国を擁するEUに至るヨーロッパの「統合」の軌跡は、確かに人類史上の「実験」の一つであろう。もっとも、「シューマン・プラン」それ自体もまた、フランス政府の立場からすれば、再軍備を経た将来のドイツの勢力拡張を念頭に置き、「ヨーロッパ」という枠組によってたがをはめる思惑を含むものであった。
ヨーロッパの経験を踏まえるならば、日中両国にとっては、ガス田共同開発は、「互いに勝手なことをしないし、させない」という意味での自制を促す「縁」になるであろう。「共同で何かを行うという営み」は、確かに美辞麗句の響きを持つものであるかもしれないけれども、それが要請するのは、「互いの互いに対する我慢」である。
このように考えれば、此度の日中合意の意義は、決して小さくない。筆者は、従来、ヨーロッパおける統合の軌跡がアジアでも進むという展望には率直に懐疑的な眼差しを向けてきたけれども、「資源」共同管理という「核」が伴えば、こうした展望は決して絵空事とはいえないであろう。こうした「核」となる共同作業を、どのように具体的に積み重ねることができるのか。そこに今後の日本の対外政策の課題がある。
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