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2008-05-05 20:08
中国の中国による中国のための五輪
大江志伸
江戸川大学教授・読売新聞論説委員会特約嘱託
「アジアの発展途上国の指導者の多くが、国民の再結合に有効と信じるナショナリズムの政治利用に傾斜している」。江沢民政権による反日教育キャンペーンが激化した1995年、キッシンジャー元米国務長官は読売新聞への寄稿の中で、冷戦終結によって方向性を失った中国ナショナリズムの近未来に警告を発していた。あれから13年、中国はキッシンジャー氏の予測を超えるレベルで「再結合」を成し遂げつつあるようだ。
フランス首脳が北京五輪の開幕式不参加の可能性をいち早く表明すると、反仏感情が一気に高まり、中国国内に展開する仏小売大手カルフール店を標的に抗議デモが続発した。五大陸を巡った聖火リレーでは、チベット暴動弾圧への抗議活動から聖火を守るため、世界各地で留学生が雲集し、沿道のチベット支持グループを圧倒した。多数の中国人青年が五星紅旗を振りかざして「中国がんばれ」を叫ぶ異様な光景は、国境を越えた「愛国無罪」現象でもあった。大方の国は「五輪精神の建前」のもと、不快ながらもそれを受容する以外なかった。異質な超大国・中国の素顔が、聖火リレーとともにクローズアップされた点で、国際社会は貴重な学習の機会を得たといえる。
この種の偏狭なナショナリズムは諸刃の剣であり、対応を誤ればその矛先は中国当局自身に向くとの見解が、マスコミで定説のように繰り返されている。果たしてそうだろうか。「世界を平和でつなぐ五輪は、中華民族百年の夢」(習近平国家副主席)との思いは、中国人(とくに漢族)にとって掛け値なしのものだ。晴れ舞台に的を絞ったチベット暴動は許しがたいとの感情が、共産党政権の強硬姿勢や一般大衆の排外主義の根底にあると見るべきだ。
スポーツ界最高のイベントである五輪は、「平和の祭典」という表看板とは裏腹に、政治とカネにまみれ続けてきた。今回の北京五輪も、様々な矛盾、問題を抱える中国の断罪場の様相を帯びようとしている。中国政府と国民は、逆風が吹けば吹くほど団結して、五輪の「成功開催」に突き進んでいくであろう。その結果、政治、外交、競技の各面で、「中国の中国による中国のための五輪」として記憶されることになるのは必定である。北京五輪で得たもの、失ったものを、中国自身が冷静に総括できるとすれば、宴の後、しばらく時間を経てのことであり、そのときにはナショナリズム沸騰の副作用も顕在化しているかもしれない。
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