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2008-01-28 12:33
東アジア協力の一環としての大学生交流
佐藤考一
桜美林大学教授
2007年11月の第3回東アジア首脳会議(EAS)の記者会見で、福田康夫総理は「青少年交流についても、地域協力を一層発展させるべく、日本がリーダーシップを発揮していくことを確認した」と述べている。具体的には、「21世紀東アジア青少年交流計画」の活用による3000人以上の若者の交流と、日中平和友好条約締結30周年にあたる2008年を「日中青少年交流年」とすることなどである。前者については、ASEAN諸国やオーストラリア、ニュージーランド、インドなどの高校生約600人が訪日している。被爆地である広島県などの地方も訪問し、ホームステイや高校生たちとの交流を行い、国際平和学習も行っているという。また、中国の温家宝総理は、毎年日本から1000人の青少年を招待する旨を表明している。いずれも1週間程度の短期間であるようだが、東アジアの将来を担う若者の交流は大切であり、多感なうちに互いに自ら東アジアの隣国の人々の現状に触れ、友人を作る機会を持つことは結構なことだと思う。
だが、日頃大学で講義をしている立場から、これを大学生対象の具体的なプログラムにすることを前提に考えてみると、もう少しやるべきことがあるような気がする。第一に、交流の目的は何なのか、もっとはっきりさせる必要があるだろう。国際平和学習は結構だが、現実に兵士になることの少ない今の若者にそれだけでは十分ではないだろう。第二に、大学生のやる気と集中力を引出す工夫が必要である。根気のない、飽きっぽい学生であっても、真剣に取り組ませるインセンティヴが必要だ。第三に、交流の試みは一時的なものとしてではなく、10年、20年と、出来るだけ長く継続する工夫が必要である。それには、長期間の滞在では受け入れ側の負担が大きく、いずれ無理がくることになる。では、どうすればよいか。
第一の点について、必要なのは平和の大切さを教えるだけでなく、9・11同時多発テロ事件のような悲劇を避けるために、言語や宗教、価値観の違い、いわゆる社会的距離を乗り越えて人を理解する、異文化交流・異文化共存の方法を考えさせることだろうと思われる。特に同質の文化の中にどっぷり浸かり、文化摩擦の経験の乏しい日本の大学生には、日常生活の中で文化摩擦を経験して、多文化共存の方策を実践している、東南アジア諸国の学生との交流プログラムに、このテーマを組み込むべきである。
第二の点については、この交流プログラム自体を集中講義として講師を配置し、単位をつけて、各大学のカリキュラムに組み込んでしまうことが考えられる。ゲームや寝食を共にすることで友好を促進するだけでなく、各国の外交官や企業・NGO関係者、国際関係論や地域研究の大学教員などの専門家をリソース・パーソンとして講義やプレゼンテーションをしてもらい、その内容について学生たちを、例えば20人程度のグループに分けて討論させ、成果をグループ毎にレポートさせるのである。講義やプレゼンテーションの理解度と討論の内容が単位になってかえってくることになれば、大学生たちのやる気や集中力も高まるであろう。日本人学生の場合、通訳を兼ねて一定以上の英語力があるチューターか学生を各グループに最低1人配置するか、応募の際にある程度の英語力を条件とすればよい。
第三の点については、第二の点と関連するが、大学で行っている集中講義と同様の期間で十分であると思われる。したがって1週間前後で2単位(講義時間にして14コマ分くらい)を想定し、夏休みや春休みを活用すればよいであろう。カリキュラムについては、参加する各国が毎年持ち回りで主導するとして、最低限やるべきこと(例えば、各国で異文化交流や異文化共存、国民和解、民主化等に貢献した人物についてセミナーや討論会で取り上げるなど)については、合意を形成しておくことが必要になる。そうなると、参加する専門家同士の交流もしなくてはならないことになり、一石二鳥である。こうした努力が、東アジア共通の異文化理解のための教科書のような形で結実する日が来れば、文化交流は東アジア協力に大きな貢献を果たしたことになるだろう。
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