しかし私は1993年からロンドンのLondon School of Economics and Political Science (LSE)の国際関係学部の博士課程に留学するが、そこで社会科学系分野で思想系の議論をしている教員や学生たちにとっては、サイードの存在が極めて大きいことに気づいた。LSEは欧州の社会科学系分野の大学では1位にランクされる大学であり、世界各国から多様な知的土壌を持つ学生が集まっており、国際関係学部でも現代思想の議論が常に行われていた。やはりコロンビア大学にいたガヤトリ・スピヴァクの『サバルタンは語ることができるか』(原書は1988年、邦訳は1998年の出版)は共通知識の古典的な位置づけを獲得しており、頻繁に参照されていた。今日「ポスト・コロニアル」研究として確立された分野として認知されている思潮は、当時のLSEではすでにかなりはっきりと影響力を持っていた。私は、LSEでの議論についていくためサイードやスピヴァックは、大量の文献の中の必読書として読んだのだが、正直、自分のPh.D.論文に使用するほどではなく、教養書のような位置づけで読んだだけだった。