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2021-09-21 10:24
政治家の質の問題
中山 太郎
非営利団体非常勤職員
筆者は、中国問題に長いこと取り組み、現地の経験も多く、幸運にも、歴代の近代中国の指導者には間地かで会うことができた。毛沢東さんは、死去後海外のお客は来させないが、当時北京駐在の外交団、その他外国人は、そのご遺体を人民公会堂で皆に会わせ最後の別れを告げさせた。1970年代の文革後、米が国交回復し、本格的に対中外交に乗り出すまで。1990年代ごろまでは、日本が情報力など優れていた。1970年代、まだ正式な国交がなく、非公式な連絡事務所の所長であったのちの米大統領のブッシュ(父親)大統領は、材料集めに当時の日本大使の小川平四郎大使の事務所へ押しかけることで有名だった。第一次天安門事件で失脚中の鄧小平もひそかに小川大使公邸を訪れ、ポスト毛沢東をにらみ、会談を重ねた。その頃北京滞在の唐詩の研究で有名な前野直彬氏が、歴史では「三顧の礼」に答えない場合は、そのあと実際に殺しの刺客が派遣される、だから今政界で求められている鄧小平は出てくると予言したおられたのが印象深い。事実その後の展開はそうなった。
歴代の政治家で、例えば吉田茂などは、自分が若いころ、彼は中国駐在の外交官としてどさ周りをしていた。自宅の窓から見える中華レストランがいかに不衛生に営業されいるか間地かに毎日見ており、絶対に中国料理は食べなかった。晩年、時の池田総理の懇望で、中国からの代表団の一人が、いったん台湾すなわち当時の中華民国への逃亡を希望しながら、その意思を突如変え、また中国大陸へ帰国を希望、中に挟まった日本政府は、本人の希望を聞き入れ右往左往した。これで、台湾との間はだいぶ拗れ、吉田茂が乗り込み、蒋介石と会談し解決した事件があったが、吉田は中国料理を食べないのが原則なので、蒋介石の食事の招きをすべて断った。いまの日本では総理秘書官のポストは、将来のその省の4番バッター候補が行くポストだが、吉田は自分で外交官の優秀なキャリアたちの首を切りまくって人員整理をした手前、秘書官にはノンキャリアのものを置いた。たまたま、同人が外務省に戻り台湾勤務であったので、その家に押しかけ、同人夫人の手料理に舌つつみを売ったと記録にはある。
いまの反中国の論陣を張る幾多の論客は、その食事の記録を見ると案外皆中国料理がお好きのようだ。しかし、吉田の残した記録を拝見すると、筆者など到底及ばない中国への造詣の深さだ。それは岸信介総理にもうかがわれる。そのお孫さんの安倍さんの書も大したものがある。翻り、近間の安部さんの前に長いこと政権を担当し、国民の支持も強かった首相は、当時の中国政府の二分論で国内を説得している、すなわち、日本国民全体は悪くはないが、一部軍国主義者がいけないのだに真っ向から対決というのか、まったく勉強もしないで、祖国のために亡くなつた人たちを祀る靖国へ行ってなぜ悪いと、昭和天皇もいかない靖国参拝をライバルの橋本総理が靖国遺族会会長で苦労していたのにあてつけた参拝、喧嘩外交を行い、それは、日本の中国での利権を大いにそぎ、当時乗り込んできていたドイツなどに大儲けさせることにつながった。同首相の知識のなさは、反日記念館での揮毫で、通常「忠恕」で言葉となる語句の下の「恕」のみ記すと言う奇矯な姿勢にも表れている。外交は半分は女性が担当しているのだ。
同人は夫人なし外交であったが、そこは、自民党できちんとそれに対応できる夫人がお手伝いしたのだ。自民党外交を批判する論の中に、親中派の「世界の平和と繁栄は日中」とその反対派の「中国と商売だけとはいかない」と別れている、右往左往だとの見方がある。それは間違っている。こうしたしたたかで重層的な姿勢が求められている世界なのだ。戦争直前の近衛内閣の「蔣介石相手にせず」などと見えを切り、結局話し相手とのルートを切ってしまい、自分の足元からは、当時の敵ソ連に機密がほとんど漏れると言う無様なことの繰り返しは御免だ。格好の良さは、一時期はよくても長続きしない。中国はなんでもそのコンプレックスから、先進国の真似をする国だ。最近の米への対抗での「個人情報保護法」なども興味深い。ただ、これが日本などの外資にどう影響してゆくのかよく見てゆかねばならない。ルールなき国とはどういうものか、1980年代、筆者は上海に滞在していたが、ある日の新聞に、ナンバー3、書記、市長の次が市議会議長で、その胡立教の息子が、百人近くの女性を強姦し、死刑に処せられたとあった。先進国なら、悪であっても最初の1、2件で逮捕され死刑までには至らなかったろう。
西側先進国の外交官が述べていたが、ある日、こうしたドラ息子が同外交官を訪れ、今日ビザをくれと宣った。外交官は苦笑しながら、それにはまず旅券をお持ちくださいと述べたところ、同人が電話すると外交部の担当が一式そろえ旅券を持ってきたそうだ。民主主義国家では考えられない社会なのだ。「一帯一路」についても一言、知り合いの商売をしている中国人の内輪話では、中国は、まず商売は何か店を出しそれが当たればそれを重点に置く、それがだめになるとまた別の商売をする。当たるも八卦当たらぬもーーの世界なのだ。「一帯一路」もいろいろぶち上げた計画の一つがたまたま当たり、当初の60数か国が今や130以上になっている。これは、ドイツなどの経済命の西欧諸国の国策にあった中国の勃興する経済力でのインフラ構築、経済発展などの寄与、などラッキーだったと述べている。後進地域への支援がどれだけ無駄な努力が必要か、先進国は苦労しているのだ。今後、どう発展してゆくのかじっくりと見極めたほうが良い。決して西側の一部の学者いうような、したたかな戦略を込めて動いているのではない。
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