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2020-09-13 08:02
李登輝氏ご逝去及び台湾問題について
中山 太郎
非営利団体非常勤職員
新聞雑誌で李登輝総統のご逝去の記事があふれているが、少し気になる部分があるので書いてみる。文芸春秋10月号の桜井よしこ氏の「追悼李登輝ーー日本人より日本人らしく生きた97年」-台湾の民主化に尽くし。中国共産党の暴虐に抗った一生涯」に典型であるが、台湾人と外省人を二分し、両者を対立陣営としてのみとらえ、李氏は台湾独立に向け奮闘したと述べるものだ。我が国は最近韓国に国際約束は政権が代わってもきちんと守るべきものだと力説している。米も日本も中国と手を結び台湾と断交した際、中国は一つ、一国を認め、条約に書き込んでいるのだ。
最近の米は、中国の強権的な台湾への脅しに対抗して、初めて閣僚級の政府関係者を送るとか、各分野でのテコ入れをしているが、これは、台湾の独立を支援するものではない。米も平和的な方法での中台統一は認めているのだ。勿論この「平和的方法での統一」についての解釈は米中で同じではない。両国の国力の差により、刻々と変化もしてもいる。中国側は時は我が方にありと考えている部分も見受けられ、米側が少し焦りだしているとの見方をする人もいる。桜井氏の文章に典型的な、李時代は100%素晴らしかったというのは、追悼文の性格から仕方がないかもしれないが、冷静な記述ではない。蒋経国の時代に別れを告げ、悪名高き「戒厳令」を廃止したが、治安が悪くなり、その頃筆者の接触した台湾人ビジネスマンたちは、車は持っていた外車は手放し、タクシーと同じものを、色々強化措置を施し乗ったり、強盗にあったときに、金をすぐ差し出せるように、いつも胸の前面に日本円にすると数十万円分相当の金を入れおき、強盗をまず安心させるとか、工夫を凝らしていた。しかし、知り合いの友人は、相手が悪く、片耳を切られた。そうした中、当時の台湾社会の治安維持に力を入れていたのは、外省人関係者たちだった。
東北大震災の際、台湾は世界でも、一、二位の募金を寄せてくれたが、中近東の某湾岸諸国の国のように、ある金持ちがポンと出したのではなく、一般の人たちが貧者の一灯をよせてくれたのだ。時の総統は、外省人の馬英九だったが、自ら大使館に当たる交流協会の台北事務所に赴きその取りまとめの事務を行った。勿論、反日だとの世論を気にしての政治家としてもパフォーマンスでもあったわけだが、一国の大統領、総理が自らこうした事務を行うというのは、他の国にはなかった。李登輝氏の日本贔屓はうれしい限りだが、それにしてもその笑顔の下には、日本人がした様々な不作法も隠されているのだ。総統になりたての頃、日本のトップ企業の副社長が国際慣例を無視して、面会をドタキャンした。企業の味方である、通産の某高官も愛知の田舎企業なので勘弁してくれと述べたりした。経済界の人たちにも、政治は我関せずではこれからの世界では生き残れないだろう。これは中国大陸でも同じだ。
2000年代初め、日本の政権がポピュリズムに染まっていたころ、時の総理は、総裁の対抗馬の橋本さんが靖国遺族会会長であることを狙い撃ちして、靖国に毎年参拝と称し、中国に於ける反日グループを大いに盛り立てていた。日本のある関西の中企業が、社員の慰労会だと称し、広東省の経済特区の一つ「珠海」において、町の曖昧宿を全部貸し切り、どんちゃん騒ぎをした。そこからほんの1時間で当時まだ大幅な自由地域のマカオなのにだ。タイミングも日中戦争の記念日にだ。北京のメディアはここぞとばかり書き立てた。当時の現地の日本総領事に聞いた話だが、日本企業、日本人への嫌がらせ、はては、危害が及ぶと心労に眠れぬ夜を過ごした。幸いにも,一部地方政府の関係者たちが、以前に日本の南部中国発展への協力への遺徳を思い出してくれて、広東省内での新聞雑誌テレビには、この事件については、一切出ないように止めてくれた。勿論、日本で反対に同じように記事のストップなど出来るわけがない。全体主義国家ならではの離れ業だ。
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