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2020-08-15 17:57
政治家の器
中山 太郎
非営利団体非常勤職員
知人から、「日本のシンドラーと呼ばれ、テレビドラマなどにもなり、5千人のユダヤ人の命を救ったともてはやされている杉原千畝について、お前は極めて理不尽な攻撃をしている。当時、外務政務次官であった鈴木宗男が、佐藤優とともに同人の名誉回復した。そのどこが間違っているのだ。外務省は彼を訓令違反で罰した。外務省は自分たちが失敗したと思っているので、その名誉回復に猛烈に反対したのだ」と言われた。終戦当時の社会状況を少し説明したい。敗戦後、どの官庁も復員してくる人たちの首を多量に切らなければならなかった。特に外務省の場合は、外交がなくなったのだから大変だった。吉田茂は、その首切りに奔走した。自分の秘書官としては、キャリアで残っている人間はGHQとの連絡などで皆多忙を極めているので、ノンキャリでしかも中国語の人間を使った。首を斬られた外務省職員たちは自分の職探しに奔走するのは勿論、食うために夫人が場合によれば女中奉公などをした。松本清張が「球形の荒野」などで書いている。同氏の令嬢が、後にロシア大使にもなられた某外交官に嫁がれているので、そこらへんで取材したのだろう。
戦後間もないころの、ソ連の経済は絶好調で、50年代の米に先駆けての人工衛星スプートニク打ち上げなどへつながる時代だった。シベリア抑留を免れた、ロシア語の使い手は、ソ連との商売の会社に身を置くなど、他の省員より、ずーっと良い生活が出来たのだ。だから、90年代に訪米した杉原夫人が、米国内で「亡くなったうちの主人は非道な外務省の措置で退職させられ。苦労させられた」と述べているのは、だいぶ違うのだ。最も、この夫人は再婚した女性で、リトアニアでともに苦労した夫人は亡くなったそうなので、本当の事情をあまり知らないのだろう。敗戦国の人々の生活は極めて厳しい。その中では、杉原は、ラッキーな生活を送ったともいえよう。
「訓令違反」で発給されたビザの後始末は、多くの人が苦労した。米は、親戚縁者など少数を引き取っただけだ。残りは、神戸から、当時中立的地帯であった上海に送られた。ナチスドイツのしつこい返還要求を日本側はのらりくらりとかわし続けた。反日をまたぞろ、かまそうとの現地の人間が、単細胞な一部欧米人を洗脳し、キャンプの非人間的扱いは日本人の非人道的性格を表しているなど宣伝しようとの動きもある。知人の元外交官夫人のオランダ人が、昨年の1年の報告で滔滔と述べているので大喧嘩した。他の欧米人によれば、ドイツを除くと、ユダヤ人迫害が一番ひどいのはオランダだという。その罪の意識から、どこか他に責任転嫁したいのかもしれない。
知人は、佐藤優氏は、取材力に優れ、ロシアの混迷の政治状況の中で、色々重要情報を入手した。これもダメと言うのかと厳しい。佐藤氏が優れた外交官の才能を持つことは認めよう。しかし、一部の人たちは、情報入手にはひとえにその人の才能、知力、金、ハニートラップの罠によると考えるが、こちらの差し出す情報の質と量におうじて先方は出してくるのだ。こちらの差し出す国家機密が組織内で正当に得られたもので、正当な手順での承認を得られてのものなら良いが、そうではなく、ましてその目的が個人的な利益を目指すものなら問題なのだ。ここで政治家の器量が問われる。
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