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2020-07-29 11:03
米中関係を振り返る
中山 太郎
非営利団体非常勤職員
今の米中対決を見る上で、戦後の主な米中関係をおさらいしたい。第二次大戦直後の中国での国民党と共産党の内戦では、米政府は表向きには国民党を支持したが、国民党の腐敗、怠慢については批判が強く、国務省の当時の対中報告書では国民党を強く非難し、共産党に肩入れをしている。民間では、エドガー・スノウなどの毛沢東との会見記がベストセラーになり、毛や中国共産党への興味が高かった。勿論、その後はソ連との対峙が強まり、米では反共産党の空気が支配した。ニクソン大統領になり、当時の中ソ対立の中で、米の泥沼化しているベトナム戦争打開のため、72年末の大統領選挙に向け、米の国内世論取り込み(これは今の状況に近いが、当時は中国に融和のほうが人気が出た)、それと勿論将来の中国の巨大な市場などを狙い、米中国交へむけ踏みこんだ。
中国との問題の最大のテーマは台湾の地位についてであった。台湾は中国に所属すると公に認めたのだ。米の動きの先手を取る形で、田中内閣が日中国交を果たしたが、米にならい台湾について、日本も同じスタンスをとった。健忘症の日本人は忘れるのが早いが、当時霞が関や虎ノ門の郵便局では、台湾の人が国へ郵便を送るに際し、従来のごとく「中華民国高雄市・・・」と書くと、「中華人民共和国」と直させられた。日本人の国際場裏での鈍感さ、幼稚さがうかがわれる。キッシンジャーの秘書を務め、後に在中国米国大使にもなったウインストン・ロード(同人の夫人は、ハバード大留学の上海人)が論述しているが、玉虫色の米中共同声明「上海コミュニケ」作成で悩んだの末、次の文言を考え出したと述べている。「台湾海峡の両側のすべての中国人が・・・・」。当時、台湾側も将来大陸へ反攻しての一つの中国を標榜していた。そしてRECOGNISEとACKNOWLEDGEの微妙な言い回しを使うことで解決した。中国側の翻訳については目をつぶった。
ヒラリークリントンも自伝の中国での版では、中国での人権問題批判など、中国にネガティブな文言は削除したり言い換えている。責任ある大国として、米中国交への糸口を付けてから、国内での侃々諤々の議論の末、「台湾関係法」の設置や台湾防衛問題につき諸手配を進めていった。官房長官談話だけで済ませた日本と大違いだ。当時の日本は、抜け駆けの対中国交を果たし、中国市場を目の前に、浮かれ気味だった。それに引き換え、米は初期には、外交特権のほとんどない連絡事務所の設置で、所長にはブッシュ(シニア)も在勤した。ブッシュ(ジュニア)も夏休みには遊びに来ていた。対中情報で、大いなる利得を得た日本は、浮かれ気味だった。そして、米の「こいつ、少しのさばりすぎている」との冷たい目線にきづかなかったのだ。台湾の人も中国大陸の人も心の底では、安全保障は、米に丸投げの能天気な日本に冷めた見方をしていることだろう。小生は、中国の反体制派の知識人を2、3人知っているが、習近平を批判して授業を停止させられている許章潤・清華大教授が、投獄の最悪事態にまでいかないのは、米のネーサン・コロンビア大教授などとの強いネッワークによる牽制のおかげだと述べている。日本人は、民主や自由を述べるのも、最前線では無力なのだ。引き換え米は、天安門事件で、方励之・中国科技大学副学長、(著名な宇宙物理学者、同大学は日本の東大の提携校)が、北京の米大使館へ逃げ込んだ際、大使以下官員が同氏の隣室に宿直して身柄を保護し、水面下で当局と折衝の末、米へ送還した。こうしたことを中国の知識人は忘れはしない。日本は言うだけ番長なのだ。
ちなみに、ヒラリークリントンに登場してもらうと、今の習近平体制発足時(副主席時代)、お決まりの権力闘争で、重慶市に独立王国をきづいた薄熙来の元側近の王立軍が、反旗を翻し、成都の米総領事館へ逃げ込んだ。当時、オバマ政権の国務長官の彼女は、天安門事件の時のやり方とは異なり、王を薄熙来に渡しはしなかったが、北京の中央政府へ渡して恩を売った。今回、中国政府により、米のヒューストン総領事館閉鎖に対抗して、成都の米総領事館も閉鎖に追い込まれたが、99年NATO軍の在ユーゴ中国大使館誤爆事件で、大規模な反米デモが起きた際、北京などの在中国公館は、投石などで外側の窓ガラスなど滅茶苦茶にされたが、暴徒の乱入は防いでくれたが、成都だけは見せしめのためにか、暴徒が入り書類などを盗まれた。他の米中対立事件は、海南島事件がある。米の偵察機と中国の戦闘機の衝突事件だ。機体の大きい米のEP=3は、何とか海南島の空港へ不時着できたが、戦闘機は海の藻屑と消えた。中国側のテレビで謝罪せよとの声にブッシュ(ジュニア)大統領が米のテレビに出て、この事件の発生はSORRYな出来事だと述べたのを、中国は国内で、米大統領が謝罪したと宣伝した。同年の9月11日に米は同時多発テロに襲われたのだが、米国務省の知人よると、その頃政府の招待で中国のジャーナリスト一行を接待していたが、テレビで、ワールドタワーに飛行機が突っ込みビルが崩れる場面で一行は拍手喝采していたそうだ。
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