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2019-12-02 11:13
総理夫人たちの日本外交への隠れた功績
中山 太郎
非営利団体非常勤職員
中曽根元首相が、101歳で大往生を遂げられた。その戦後政治に果たした諸功績に様々な賛辞が送られているが、その政治活動を陰で支えた蔦子夫人の力も忘れてはならないと思う。筆者は、同夫人の中国での活動に少しお手伝いをした経験から述べると、同夫人の控えめながら気品のある心配りで、中国の関係者の方々の心からの尊敬を受けておられたことを思い出す。
歴代の夫人方の影の功績を忘れてはならないと思う。戦前の日本の世界を敵に回しての厳しい外交活動の中、戦前日本の外交界のドンである牧野伸顕の令嬢として、そのたぐいまれな語学力や外交活動の才能を生かし、陰でいろいろ献身された。吉田元総理夫人の雪子氏がおられる。日米が戦争状態となり10年も滞在したグルー駐日大使夫妻が、日本の一部官憲の陰湿ないじわるなどを陰でカバーして、車や必要物資の供与などを行った。これは、グルーの外交文書などで触れられている。グルーは、米帰国後、戦後対日管理の在り方を検討する委員会などで活躍された。ワイドショー的な言い方をすれば、日本のあつかいを決める際にグルーの脳裏に浮かんだのは、雪子夫人はじめ日本の心優しい人たちの姿であったかもしれない。
小泉総理は単身であったが、世界の貴賓は夫人連れでやってこられる。その夫人役をそつなくこなしたのが、当時の官房長官夫人の福田康夫夫人・貴代子夫人だ。官邸外交の逸話など、洩れ出ると世界の外交官、ジャーナリスト仲間で話題となる。例えば、90年代に米国に招かれた江沢民夫人の逸話で、大統領主催の晩さん会で隣に座った江沢民夫人が何も口につけない。心配したクリントンが、奥様どうかなされましたかと聞いたところ、夫人は、夕食は食べてきましたので、と述べた。その頃、中国の人達は米の食事は口に合わないと述べていたことを思い出す。
同じ90年代後半、小生の日本人知人を訪ね、カナダのケベックにいたときに、そこのレストランに引退後の生活を楽しんでいたシラク仏元大統領がいた。日本大好きの同大統領は、日本人とみてわれわれをテーブルに座らせ、最近の相撲の状況や今日本で話題の日本中世の応仁の乱などについてのそのうんちくを語ってくれた。私の知人のフランス語の通訳で知ったのだが、同大統領は、若い時にロシア人の専門家を教師にして徹底的に日本歴史や文化を深く勉強したと述べておられた。その際、カウンターパートナーだった橋本元総理夫人の久美子夫人が、橋本総理の代理として日仏文化行事の日本側代表として来られた。とても気品のある方だったと述べてられた。今、「桜を見る会」への注意人物招待問題などで責められている安倍昭恵総理夫人についてだが、毎日新聞記者の西川恵氏が紹介しているように、オーランド前仏大統領夫人が正式な結婚をしておらず、訪問先の首脳夫人によっては明らかな嫌な扱いをするなか、安倍夫人は心から迎えてくれ、その温かい心情に胸がいっぱいだったと引退後の著書で触れている。
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