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2019-03-08 02:08
ASEANの道路インフラ開発事業について考える
成田 弘成
大学教授
私は過去10年間にアジア太平洋地域においてインフラ開発に関わって研究活動を行ってきた。現在、ASEAN地域を舞台にインフラ投資を巡って日中の競争が激化しているが、現地コミュニティの立場に立ち戻った議論も必要と思われるので、あえて私の見解を述べさせていただきたい。日本政府が推し進めてきた「質の高い」インフラ開発は、今世紀に入り、アジア開発銀行が推進役となり、特に道路インフラについては、太平洋地域ではハイウェイ道路、ASEAN地域では東西回廊の具現化により、飛躍的に発展してきた。私も、コミュニティ道路の建設を請け負ったNGO道普請の評価作業に加わったおかげで、パプアニューギニアの高地地域で3年間、ミャンマーで2年間の(科研研究として)フィールドワークを行うことが出来た。NGO道普請による道路建設は、「土のう」という比較的単純な土木知識・技術を地域コミュニティの人々に教え、彼ら自身がボランティア活動として道を建設するものなので、比較的コストも低く、メンテナンスの面でも地域ミュニティで対応できるので、まさに「自助努力」の達成によって実現する開発事業となる。
まだまだ「未開地」と思われるニューギニア高地において、このような道路建設のやり方が通用するかと疑われたが、NGO道普請は10カ所近い場所でコミュニティ道路を完成させた。部族社会として国家よりも自分たち地域集団の利益を優先する人々に、道路の必要性を理解してもらうには時間が必要だったが、道路完成後の評価では彼ら自身が満足する開発事業となっていた。その後、東西回廊の建設もミャンマーのカレン族地域という難所を残すところとなり、同国での道路インフラ事業が急務となった為、NGO道普請も同国での開発事業に従事することとなった。私はカレン族地域におけるコミュニティ道路の評価作業を、ちょうどアウン・サン・スー・チー氏が大勝した総選挙の直後に実施し、カレン族の新女性リーダーにも面談することが出来た。もちろん日本の開発事業に対してミャンマーでも高い評価を受けたが、カレン族という少数民族の置かれている立場については、私たち外部の者は更なる配慮と理解が求められることを実感した。カレン族の各コミュニティでは初等教育の学校があるが、多くは中央から派遣された教師によるビルマ語教育が行われており、落ちこぼれを作り出す要因となっている。カレン族地域内にも日本の工場も進出しているようだが、こうした落ちこぼれの若者は、賃金の面で高い収入が得られる隣国タイを目指して出稼ぎに出ることになる。
道路が出来ることにより、以前は病院へのアクセスが無いために多くの人が死んでいたが、現在では人々は大きな安心感を得られるという。また地域コミュニティ内には数件の小売店しか無いのだが、町から車による販売訪問も始まり、商品も買いやすくなったようだ。しかし、これだけで果たして「質の高い」インフラ事業は達成したといえるのだろうか?道路を建設して、市場あるいは流通を作り出すことが出来なければ、単に道路は人的資源や物的資源の流失を助ける道具にしか過ぎない。出稼ぎ者やトラフィキング(人身売買)の数だけが増えては、地域のコミュニティの衰退は目に見えている。例えば、パプアニューギニアでは、近年、道路マフィアが出現し、道路をブロックして金銭をゆする輩が後を絶たない。道路の公共性への認識が乏しい為に、ハイウェイはむしろ危険な場所となっている。ミャンマーでも、ようやくトラフィキング(人身売買)の問題が顕在化してきており、開発の代償の大きさが理解されつつある。
1990年代以降、国際開発学会が発足し、日本の開発援助も大きく進展してきたが、既に1980年代には発足していた日本物流学会も、同じ時代の中の要請で、共に発展してきたと考えられる。私は、あえて日本の物流研究者に期待し、開発援助の研究者とともに、ASEANのコミュニティ地域における「生産と連携」の戦略を創造することを提案したい。物流研究はシンガポールなどの都市部のサプライチェーンの形成に大きな成果を上げてはいるものの、ミャンマーなどのローカルエリアでの研究は、まだ今後の課題となっているように思われる。日本の企業に寄り添う形で発展してきた物流学会と日本の政府主導のODAを発展させようとする国際開発学会では使命も手法も異なるけれども、現在共にASEAN地域での研究活動を行っている以上、その連携には大きなメリットもあると断言できる。「道を作り、人々を繁栄させる」という大きな目標には、多くの、異色の、分野の人々の協力が必要であるからだ。
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