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2018-05-16 17:23
「財務」の本質を忘れてはならない
田村 秀男
ジャーナリスト
学校法人「森友学園」への国有地売却をめぐる公文書改竄や口裏合わせ工作の露呈に続く、セクハラ問題による福田淳一事務次官の更迭。相次ぐ不祥事でささくれだった財務省の外皮をはぎ取ってみると、国家と国民を豊かにする使命を果たさず自壊するいびつな構造が見える。財務省が日本経済に占める地位は絶大である。一般会計と特別会計の歳出純合計は平成28年度で363兆円、国内総生産(GDP)の67%を占める。このうち、国債借換償還額を除いても254兆円で47%である。国内で支出されるカネの7割近く、あるいは実体経済の5割近くを財務省が差配していることになる。カネは情報と一体になっているのだから、財務官僚は政財官学、さらにメディアにも強大な影響力を直接、間接に行使できる。首相も、国会議員も、財務官僚の協力がなければ無力だ。財務官僚がおごるのは無理もない。だからといって、「絶対的権力は絶対に腐敗する」という英国の格言を財務官僚に当てはめるつもりはない。一連の不祥事は「絶対的権力」者としてはあまりにもちまちましている。いじましいほど、つじつま合わせに奔走する小ざかしいだけの小物役人の作為であり、できそこないのドタバタ喜劇である。
早い話が福田氏のセクハラ問題調査に関する財務省声明(4月16日付)だ。「一方の当事者である福田事務次官からの聴取だけでは、事実関係の解明は困難」とし、被害者とされる女性記者の「協力」を求めた。これには「二次被害が出る」と与党からも反発が出るほどだったが、矢野康治官房長らは通常のトラブル並みに双方の言い分を聞くのが当然と信じきっていた。セクハラ事件で配慮すべき社会的要因は頭の中にはない。財務省主流の主計局などで予算の歳出と歳入のバランスにこだわり続けているうちに、まずはきちんとつじつまが合わないと落ち着かない性分になったのだろう。森友文書改竄問題はどうか。佐川宣寿前国税庁長官の国会答弁と矛盾しないように決裁文書を書き換えた。国有地売却価格を約8億円値引きした理由をもっともらしくみせるために、ゴミ撤去の口裏合わせをよりにもよって森友学園側に依頼した。最高学府の法学部出身者が多数を占める財務官僚がルールを踏みにじる。帳尻合わせに執念を燃やす企業の経理オタクのようである。筆者の知り合いの元財務省幹部は「後輩たちは経理屋か」と嘆く。
確かに、財務官僚式財政学は経理的思考方法そのものである。歳出削減と増税によってこそ、財政は均衡、つまり健全化すると信じてやまない。足し算、引き算を基本に、帳尻を合わせる家計簿に似ている。財務省のホームページでは、国の財政を家計に例え、一家計のローン残高5397万円に相当すると堂々と論じている。国民は金融機関経由で政府債務の国債という資産を持ち、運用している。それを国民の借金だと言い張り、緊縮財政や増税への賛同を求める。賃上げ幅が物価上昇率に追いつかないとデフレ経済になり、GDPの6割を占める家計消費が減る。なのに財務省は消費税増税によって物価を無理やり押し上げる。アベノミクスによって回復しかけた家計消費は消費税増税によって、しぼんだままだ。国家財政を経理屋が担うから、日本はいつまでたってもデフレから抜け出せないのだ。
財務は資産と負債のバランスで成り立ち、債務が増えないと資産は増えない対称的な関係にある。企業なら株式発行や借り入れによって資金調達して負債を増やし、設備投資や企業買収によって資産を増やす。財務とは、成長を考え、実現するための中枢機能である。国家経済は貸し手と借り手で成り立つ。借り手がいないと国は成長できない。国民は豊かになれない。資本主義なら、企業負債が家計の資産を先導する。企業は負債側にあるが、株式を除くと昨年末で616兆円の純資産を持っている。家計と同じく貸し手側だ。となると、家計が豊かになるためには政府に貸すしかない。政府が借金を減らすなら、貸し手の家計は為替リスクのある海外に貸すしかない。財務官僚は増税で家計から所得を奪うことしか頭にない。財務官僚は「財務」を忘れてしまった。
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