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2018-01-13 13:56
“中国の夢”は恒常的黒字国
倉西 雅子
政治学者
フランスのマクロン大統領は、今月8日、就任以来、初めて中国を訪問し、習近平国家主席から歓待を受けたと報じられております。米中対立が燻る中での仏中接近となりますが、この訪問で気になるのは、自由主義諸国の対中貿易の認識です。マクロン大統領は、習主席が提唱してきた一帯一路構想への参加を表明する一方で、“古代のシルクロードは一方通行ではなかった”と述べて、中国市場の閉鎖性について釘を刺したとそうです。しかしながら、古代から近代にかけての対中貿易の歴史を振り返りますと、中国貿易は、常に中国が有利な形での不均衡であり、この不均衡こそが、世界を揺るがす重大な要因ともなったのではないでしょうか。
古来、中国を代表する特産品と言えば、シルクロードの名称が端的に示すように、“絹(シルク)”です(近世以降には陶磁器や茶葉も特産品に…)。化学繊維が発明される以前にあっては、中国産の絹は西方諸国においても珍重され、いわば、全世界が中国産絹の市場であったのです。シルクロードがユーラシア大陸の大動脈であった時代には、ユダヤ商人、イスラム商人、インド商人等の手を介して西方に齎された絹製品は地中海沿岸の諸都市に集積され、ベネチアやジェノバ等の商人によってヨーロッパ各地に運ばれ、手広く売買されたのです。独占的特産品の強みが中国をして恒常的貿易黒字を生み出し、歴代の中華帝国の繁栄を支えたのですが、一方の西方諸国を見ますと、中国に対して然したる輸出品を持ちませんでした。このため、常に対中貿易は赤字であり、貿易決済を通してヨーロッパ産の金、銀、銅といった貨幣価値を有する希少金属は、大量に東方へと流出したのです。この結果、新たな航路の探索のみならず、慢性的なコイン不足からヨーロッパにおいて為替手形が発達し、やがて銀行券を生み出すこととなりました。対中貿易、あるいは、東方貿易に伴う赤字は、今日の金融システムの原型の誕生と無縁ではないのです。
また、アヘン戦争(1840~42年)が、イギリスの対中貿易の赤字に起因することは、よく知られた事実です。世界大での自由貿易体制を構築し、三角貿易等の多角貿易によって莫大な利益を上げていたさしものイギリスも、対中貿易だけは赤字を記録し続け、この解消のためにインド産のアヘンを中国に秘かに輸出したことが、この戦争の発端であるからです。当時のイギリスは、軍事力を以って中国市場をこじ開けて対中貿易の不均衡を解消したわけですが、1840年は、中華人民共和国憲法の前文にあって、同国の屈辱的な半植民地化の始まりの年と位置付けられています。因みに、中国産の絹の問題は、日本国の歴史とも関係しています。清朝末期の混乱によって中国からの絹輸出の減少を懸念したイギリスが、代替生産国を準備すべく、日本国の明治維新、並びに、絹生産を戦略的に後押ししたとする有力な説があります。実際に、鎖国を解いて開国した明治日本が真っ先に参入した国際市場は、絹製品の分野でありました。この説には更なる検証が必要ではありますが、富岡製紙工場などの史跡は、中国貿易をめぐる国際経済、並びに、日本経済の来し方を、良しにつけ悪しきにつけ、今日に伝えているのです。
以上に中国貿易の歴史を大雑把に述べてきましたが、“中国の夢”の実現をスローガンに掲げる習政権にとりまして、過去の栄光を取り戻すとは、アヘン戦争以前の状態への回帰、即ち、国家による貿易統制と恒常的貿易黒字国の実現であることは想像に難くありません。そして、この歴史的とも言える不均衡状態の再来は、再び、全世界を震撼させないとも限らないのです。中国が特産品の強みを失った今日にあっては、過去をそっくり再現することは不可能ではありますが、シルクロードが一方通行であった歴史は、自ら“グローバリゼーションの旗手”を自称する中国に対する政策が、一筋縄ではいかないことを物語っているのではないでしょうか。
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