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2016-04-13 23:51
核兵器とどう向き合うべきか
牛島 薫
団体職員
白鵬が先日優勝したが、その優勝インタビューは痛々しいものであった。千秋楽の取り組みが横綱相撲ではないとヤジが雨あられのごとく降り注いだが、百も承知で横綱はどう取り組むべきかについて問題提起をしたかったのであろう。年齢に合わせた戦術の変更が許されないことに、力士として、競技者として閉塞感を感じているように思える。白鵬の変則的な取組は、こうであらねばならないという固定観念としての横綱像を打破するために一石を投じているのである。その白鵬の優勝と同時期に、e-論壇でも多くの先生方が言及しておられるが、共和党最有力候補のドナルド・トランプ氏は在日在韓米軍の撤退と現地核武装の容認を言明した。これはトランプ流の話題先行型メッセージであって彼にとってこの実現性は重要ではないに違いないし、彼にとって上記の提案は安保ではなく国内財政論の文脈においてのそれという意識の方が強いのであろうが、東アジアに衝撃を与えたのは間違いない。
他方、中国も外交政策の不調や制度的制約や人口オーナスなどによる構造的な経済上の懸念から、かつての勢いはないとはいえ、日本を遥かに超える軍事大国であるという不均衡な環境は、当分不変であろう。そのような中、東アジアの横綱に長らく在位してきた日本も、白鵬同様に新しい横綱像を模索するいい契機になったのではないか。国際秩序とは端的には核秩序といっても過言ではない。核を持たずに国際秩序のメインプレイヤーになった国はヒロシマ・ナガサキ以降一国たりともない。他方で、日本の非核三原則は憲法でも法律でもない。政府見解では本来核兵器を持つことは合憲であり可能だが、国是とする以上日本が核武装することはあり得ず、米国が核の傘を提供する以上無用の長物であり続けている。
つまり何を言いたいかというと、日本は東アジアでは地域大国であるものの国際秩序のプレイヤーとしては現状どの大国に依るかという選択肢しかなく、その対象を米国に絞ることで日本外交は成功してきたということである。しかし、この成功体験は今後も通じるものであろうか。キッシンジャー氏などを含めた多くの人々が古くから言及してきたことだが、米国政府が中国やロシアなどの軍事大国からの核攻撃に対して核報復を行うと言明したことは未だかつて無く、また報復することは実際ないだろう、という見方がある。今その言説に説得力が増している。米国は日韓に渦巻く懸念を懸命に払拭しようとしているものの、トランプ氏によってますます米国による核の傘の信頼性が低下する可能性がある。そうなってくると、選択肢は旧来のパラダイムでは二つしかない。それでも米国に頼むか、中国に追従するかである。核兵器を持たない日本が極東に勢力の空白地帯を維持することは不可能だからである。しかし、国際情勢は複雑怪奇にして予測不能なものである。第三の選択肢としての核抑止力の取得を留意しておく必要はあろう。
核兵器の保有論を否定することは容易であるし、実際殆どの有識者は論外と考えている。だが、日米同盟と核兵器の保有は理論的に両立しうるのは確かだ。白鵬が自分を土俵の上で活かすために「横綱相撲」の破壊と創造を目指しているのと同様に、日本を活かすために「被爆国の平和主義」の固定観念の更新を通して、過酷な新国際情勢に直面した時に対応できるよう議論を深めるべきだ。核の庇護を求めながら核廃絶を訴えても説得力はなく、核の傘が有効でなかったときに無策では、日本は東アジアの荒波に飲まれよう。もちろん核廃絶は全人類の夢でありそれを掲げる日本の理念は崇高であり推し進めていくべき偉大な挑戦だ。だが、機関銃が剣士を薙ぎ倒すまでは誰も弓矢を捨てることはなく、空母が出現するまでは戦艦が廃れることもなかった。それと同じように、核兵器が脅威である限り人間はそれを廃絶できないであろうという現実を踏まえて国際情勢と核の関係について考えていかねばなるまい。
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