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2015-09-08 06:31
“平成の乱”を目指した「野田正雪」
杉浦 正章
政治評論家
度し難い女を古典落語で「怒れば泣く。ほめておだてりゃつけあがる。 いっそ殺せば化けて出る」と表現しているが、聖子ちゃんをこんな風に表現してはいけない。女性団体から怒られる。言うなら講談の「平成の女正雪」であろう。由井正雪は三代将軍家光亡き後徳川幕藩体制を覆そうとクーデターを謀った。さしずめ参謀の丸橋忠弥が古賀誠だ。歌舞伎の名場面で丸橋は江戸城のお堀に石を投げて深さを測ったが、どうも古賀丸橋は老化現象か「ゴボゴボ」という音が長く続いたのに聞こえず、聖子正雪に「浅いから大丈夫」とけしかけた。これに乗った聖子は、自らの行為が「政局化」そのものであることを知ってか知らずか、挙兵しようとした。しかし、結局は安倍の捕り方に囲まれ、自刃してあえない最期となったのだ。大手紙は20人取れるかも知れないからびびって朝刊で断定していないが、例え総裁選推薦人の数が集まっても、あえない最期になる構図なのだが、結局小泉純一郎以来14年ぶりの無投票再選になるだろう。
政権サイドがうまいのは、安保法案を軸に脅しをかけたことだろう。「野党が自民党総裁選で決着が付くまで審議ストップに出る」という情報を流したのだ。これで自民党内は引き締まった。「安保の印籠」を見せられては、一致団結をせざるを得ない。党内7派は全てが安倍支持を決め、古賀丸橋が最高顧問の岸田派も懸命の締め付けに出た。岸田文雄も禅譲狙いなのか、将来は安倍と戦うであろう石破茂とは対照的に、安倍大明神をあがめることしきりなのだ。安倍は将来的には佐藤栄作が田中角栄と福田赳夫を競わせたように、石破と岸田を競わせれば安泰となるのだが、今は利口だから、そんなことはおくびにも出さない。一方で、野党は総裁選で審議ストップなどは考えたこともなく、だしに使われたとカチンときたに違いない。民主、維新共に、否定に懸命。見え透いているのは、否定すれば正雪が出やすくなり、揺さぶるのならその上でという魂胆があるのだ。
毎日によれば代表・松野頼久が北海道釧路市での講演で「野田さんが推薦人集めに苦労している。(自民内で)『野党が安保の審議に出て来なくなる』と切り崩しているという話がある。そういうことであれば、我々は審議に出る」と野田正雪をけしかけた。民主の政調会長・細野豪志も「安保法制の議論は、我々はしっかりやっていく」とやはり野田出馬に呼び水を向けた。野田は論語を引いて、「義を見てせざるは勇なきなり」と発言したが、いかにもちぐはぐで、訴求力に欠ける発言だ。「正義と知りながらそれをしないのは、勇気がないのと同じだ」というのだが、古くさく、女には珍しい表現だから、丸橋に教わったのかもしれない。それでは野田の正義とは何か。もともと野田は昨年7月1日の集団的自衛権の行使閣議決定にも反対論を雑誌で表明しており、古賀も共産党機関誌・しんぶん赤旗が絶賛しているほどの安保法制反対論者だ。いまや反安倍老人の巣窟(そうくつ)であるTBSの時事放談でも、安倍という名前が出れば条件反射的に批判を繰り返している。
野田は正義を言うなら、総裁選挙に立候補する理由を述べなければならない。理由を述べずに、ひたすら選挙そのものの実施の必要を唱えても説得力はない。まるで小泉純一郎が3回も総裁選に挑戦して、数をこなして成功したから、それを猿まねしようとしているとしか思えない。野田は9月3日の北京の軍事パレードを見たのだろうか。「平和降臨」とばかりに、何もしないで平和が実現した時代は去った。民主、共産とこれにだまされているデモ隊が「戦争法案」を言うのなら、習近平の露骨なる「戦争パレード」は今そこにある危機ではないのか。野田は安保反対の立場でいながら、衆院での採決に賛成票を投じたのは「正義」を貫いたからなのか。「義を見てせざる」を言うなら、「大義」はどうでもよいのか。答えられまい。だから平成の由井正雪なのだ。いずれにせよ、野田正雪は老獪(かい)なる隠者の甘言に乗って、政治の道を誤った。安保法制という大義を見落とし、私利私欲に走った候補として、自ら首相候補としての道を閉ざしたのである。
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