ホーム
新規
投稿
検索
検索
お問合わせ
2015-07-02 13:01
安保問題についての私見
中山 太郎
非営利団体非常勤職員
6月29-30日付けの姉妹e-論壇「議論百出」に掲載された芹沢健氏の投稿「安保問題における国民に分かりやすい議論とは」を読んで、考えさせられた。政治の世界は、明日のことは分からないとはよく言ったもので、今まで順風できていた安倍政権の支持率が急落しつつある。それとともに、安保関連法案の成立についても、100%確実とは言えない状況だ。日本が、しのぎを削る国際社会で、まともな国、国民として扱われるためにも、これら法案成立はその第1歩なのだ。人生の半分をアジアで暮らした体験から、皮膚感覚の、草の根レベルからの見方を述べる。
第二次大戦後、日本は、安全保障は米国のまる抱えでやってきた。朝鮮戦争およびベトナム戦争では、経済的にも稼がせてもらった。アジアでも断トツの経済成長を遂げることもできた。南ベトナムが崩落し、難民が多数出たとき、米国は数十万、欧州もフランスなどは4-5万、日本の人口の4分1の豪州でさえも3万人の難民を引き取った。日本は、数十人以下で、そのうち多くがその後米国などへ移転した。
南シナ海などで、日本人船長の船は、遠くに難民の船を見つけるとそっと航行路を外した。欧米人がいろんな場面で非難したが、日本は、無視するか、まともな反論をしなかった。天安門事件の後中国の民主化運動指導者の一人、宇宙物理学者の方励之は、米大使館へ逃げたが、米大使以下大使館館員は交替で宿直を行い守りきり、数週間後に家族とともに海外へ逃がすことに成功した。方氏は、京都大学にもいたことがあったので、日本への亡命の可能性もあった。某日本人外交官は、もし日本大使館へ逃げてこられても、「そんな人間は、ひそかに中国政府へ引き渡してしまえ」との、本国からの訓令の可能性が9割以上だっただろうと自虐的な笑いを浮かべた。
小泉政権の頃、だれの知恵なのか、北朝鮮へ拉致された姉やその他被害者の取戻しを嘆願するために、母親、弟らその他の方々が米国のブッシュ大統領に会見した。それを海外のNHK衛星テレビで見たが、たまたま英国人も一緒にその場面を見ていた。英国人は、「本当に悲しい話だ。ただ、この若い青年は、姉のために海軍にはいり、取戻しに行く準備をしているのだろうか」と述べた。
>>>この投稿にコメントする
修正する
投稿履歴
一覧へ戻る
総論稿数:4661本
東アジア共同体評議会