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2014-09-13 18:49
日中関係の時計の針
津守 滋
立命館アジア太平洋大学客員教授
日中間の時計の針を巻き戻してみると、今から考えれば、驚くほど順調な時期があった。たとえば、2007年から2008年にかけての期間である。07年4月に来日した温家宝首相は、国会演説で次の通り述べた。「日本政府と日本の指導者は、何回も歴史問題について態度を表明し、侵略を公に認め、そして被害国に対して深く反省とお詫びを表明しました。これを中国政府と人民は積極的に評価しています」。また、翌08年5月の胡錦濤主席訪日の際に福田総理との間で発表した日中共同声明では、日本側が中国の改革開放以来の発展を評価したのに対し、中国側は日本の戦後の平和国家としての歩みを評価した。またこの共同声明では、人権の普遍性が確認されている。さらに、6月には、日中両国政府が、東シナ海における共同開発と中国が現有する石油ガス田への日系企業の出資に合意した。このように順調に回り始めたかに見えた時計の針は、あっという間にぎくしゃくし、止まり、ついには逆転してしまった。
なぜこうなったのか。最大の要因は、中国側の事情であろう。指導部の権力闘争とも絡んで、対外強硬路線が、次第に柔軟路線を追い詰めていった。その際、海洋戦略が大きな役割を果たしている。たとえば、温家宝首相や胡錦濤主席が、上記のような発言を行っていた時期にも、中国海洋局を中心に、着々と対外膨張の手を打っていた。92年2月には、いわゆる領海法を制定、「中国は尖閣問題を『棚から下ろす』意思を表示し始めた」(高原明生、前田宏子『シリーズ中国近現代史5:開発主義の時代へ1972-2014』岩波書店、2014年)のを手始めに、96年には海洋調査船による日本領海への侵入が始まり、上記胡錦濤訪日の直後の08年12月には、2隻の監視船が、主権を主張する目的で、初めて尖閣諸島周辺の領海に侵入した。そして10年9月には、尖閣諸島沖の領海内で違法操業していた多くの中国漁船のうちの1隻が2隻の海上保安庁巡視船に体当たりした。つまり中国最高首脳が、宥和的な発言を行っている最中にも、中国海洋当局は、着々と東シナ海で膨張政策を実行していたことになる。
他方、時計の針に狂いを生じさせた日本側の事情は何であろうか。中国側が問題にしている二つ、すなわち尖閣問題と歴史認識問題のうち、尖閣については、領有権の存在を認めるべしとの中国側の要求に応じる必要は毛頭ない。この問題についての日本政府の基本的な立場は、中国側が問題にしなかった70年以上の期間を含め、領有権問題は存在しないという点で一貫しているし、国際法に完全に合致している。いわゆる尖閣の「国有化」についても、日本政府による慎重な取り組みの表れでありこそすれ、中国側がいきり立つ根拠はない。もっとも彼らがこの問題について議論したいというのであれば、以上の基本的立場を踏まえ、堂々と受けて立てばよい。
一方歴史認識問題については、やはり靖国参拝が問題であろう。これは、戦争の被害を蒙った中国、韓国の意向や感情如何に関わらず、日本が一方的に決められる問題ではない。靖国参拝は、国際社会に一般的に認知された、第二次大戦に対する戦後の日本政府の基本的立場に疑念を生じさせる行為だからである。この基本的立場を総決算して見直そうとするのであれば、同盟国アメリカをも巻き込んで、戦後秩序に大混乱をもたらすこと必定である。何とか日中関係の時計の針をもとに戻すことを、日本側としても考えねばならぬ。
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