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2013-11-07 14:00
「テロ続発が習近平体制を揺さぶる」を読んで思う
中山 太郎
団体非常勤職員
11月7日の本欄への杉浦正章氏の投稿「テロ続発が習近平体制を揺さぶる」の論述に触発され、中国の最近の動きについて一言述べる。北京、山西などでの爆発事件、特に炭鉱地帯で発生した後者の事件の背景には、中国民間企業家が、先進国は愚か、途上国でも許されないような過酷な労働条件のもと、多数の死傷者が出ても公にせず採掘を行い、その富を業者と一部官僚との間で分けあっていた、という事情がある。一時期の北京、上海の豪壮なビルの多くがこうした業者の持ち物であった。
富の格差だけの問題ではなく、このような全体主義社会といえども限度を越した、非人道的やり口に対して、いつ不満が爆発してもおかしくない状況であった。政治は共産主義体制、経済は資本主義市場制度、という一見良いとこ取りができそうなやり方では、いつか限界が現れることは自明のことであったとも言える。こうしたひずみが、少数民族地帯や後進的な漢族地帯でテロとなって現れたわけであるが、我が日本としてこのような問題とどう対応していくのか、いまから真剣に考えておくべきだ。
歴史問題などで、「日本いじめの罰が当たった」などと喜んでばかりではいられない。グロ-バル化が進み、既に中国とも経済的相互依存が進む日本にとって、その経済的被害は我々の想定以上のものがあるだろう。環境問題も他人事ではなく、隣接する我が国へ襲いかかってくる。それより重要なのは、内乱の中国から、何万というボートピープルが押し寄せてきた場合にどう対応するかである。これを、シャットアウトするわけにはいかない。今から、対策を講じておかなければならないのだ。
中国との歴史問題については、学術的な議論においても、日本側は、学問として実証に基づき粛々とすすめる立場だが、中国側(韓国もそうであるが)は、倫理を持ち込んだり、全く異なるレベルで話を持ち出してくる。お互いが、どこに理解できない溝が横たわっているか、Agree to Disagree を納得するにも、数十年、百年と時間が必要なのだ。我が国は恨みに恨みをもってする、卑劣な、幼児的な手段は選ぶべきではない。
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