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2013-07-01 11:19
橋下市長による「慰安婦発言」の二つの誤算
若林 洋介
学習塾経営
東京都議選における維新の会の大敗の敗因には、昨年12月の衆議院選挙以降の支持率低落に歯止めをかけられないまま、橋下市長の「慰安婦発言」が追い討ちをかけてしまったことにある。橋下市長の「慰安婦発言」には二つの誤算があった。一つには、橋下市長の歯に衣着せぬホンネ・トーク(橋下節)が、女性を敵に回してしまったということにある。問題は、橋下氏の「戦場の兵士達にとって、慰安婦の必要性は誰だってわかることだ」という発言にある。正確に言うならば、「戦場の兵士達にとって、慰安婦の必要性は(男なら)誰だってわかることだ」ということである。つまり橋下氏のウリであるホンネ節が、「国民のホンネ」ではなく、「男のホンネ」を語ってしまったということである。ここに慰安婦問題を公的に扱う際の難しさがある。
性的衝動の問題に関するかぎり、男と女は別の動物であるということを前提に議論しなければならない。何百回・何千回説明しても、女性には理解できない問題であり、女性からは「女性は、男の性的欲求を充たすための道具ではない。許すべからざる人権侵害だ」という反応が返って来るだけなのだ。世の中には「話せばわかること」と「話してもわからない」ことがあるが、男性の性的衝動を、女性にわかってもらうことは永遠に不可能である。しかも有権者の半数は女性(票)なのであるから、どんなに人気者の橋下市長が言葉を尽して頑張ってみても、女性から理解は得られず票はどんどん逃げてゆくのである。二つ目の誤算は、米国国務省の報道官から名指しで批判された点である。これは、キリスト教国(プロテスタント)である米国に対する無理解から生じたものであり、橋下市長のみならず、日本人の自覚が不足している点でもある。私は、国務省報道官の橋下批判を聞いて、キリスト教徒の尾崎行雄が敗戦直後に出版した『卒翁夜話』の一文を思い出した。
すなわち、「わが国人には善悪の標準がない。欧米諸国にはキリスト教と多年の風俗、習慣の二つから道義ができているが、わが国にはそれがない。・・・西洋では普通の夫人は芸娼妓を軽蔑し、彼らが右側を通ればこれを避けて左側を通るというほどだから、その真似をするようなものはない。しかるに日本では夫人の半数以上は芸娼妓を真似る。その服装や言葉使いにまで是を真似る。わが国では、一般に芸娼妓は軽蔑すべきであるという観念がない。昔、藤田茂吉は報知の社説で政治家は芸妓を妻にせよと論じ、伊藤(博文)や山縣(有朋)などのように芸者を細君にするものが多かった。西洋へ行った日本人が西洋の娼妓のやり方などを見て西洋の女は日本の女よりもよほど悪いように言うが、これは皮相な観察である。西洋では娼妓は人間として扱われていないから一度娼妓になると全く良心をなくして獣類に等しいありとあらゆることをやるが、芸娼妓と普通の婦人にあまり区別をもうけない日本からの旅行者は人間扱いされていない彼らの所業から一般婦人を類推するのである」という一文である。
安倍首相をはじめとした最近の日本の政治家達は、米国と日本は「自由と民主主義」の価値観を共有している国であると錯覚しているようであるが、米国の「自由と民主主義」はキリスト教と一体となっていることが理解されていないのである。日本人の国際感覚の欠如は、今に始まったことではないが、キリスト教・イスラム教といった異質の宗教・文化に対する理解が欠如したままで外交をしようというほど危険なことはない。
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