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2013-05-14 10:43
占領統治時代の意味をどう判断すべきか
若林 洋介
学習塾経営
4月28日の主権回復式典は、安倍首相の肝入りで実施されたのであるが、安倍首相の歴史認識についての問題提起をしておきたい。サンフランシスコ講和条約の締結によって、占領統治の時代が終焉し、国際法的には“戦争状態”が終結したということは事実である。そういう意味において「主権回復」の意義が大きいということは確かであろう。問題は「占領統治下における戦後改革」というものを、どのように認識・評価すべきかということである。安倍首相の歴史認識では、この占領統治の時代は、日本国民がひたすら占領軍の意思に服従しなくてはならず、現行日本国憲法も押し付けられた憲法であり、日本国民の手に取り戻さなくてはならない、ということのようである。したがって、東京裁判も占領統治下での「勝者による断罪」にほかならなかったというものである。
私は1945年8月27日のミズーリ号上における降伏文書の調印から、1952年4月28日までの主権回復に至る約6年半の時代については、より積極的な意味づけが必要であると思う。それも占領統治下であるから、日本国民はデクノボウ(操り人形)のように服従させられただけであるとは思わない。むしろ、GHQと日本の民主主義勢力との協力による「軍国主義国家から民主主義国家への改造時代」であったと総括したいのである。したがってサンフランシスコ講和条約の締結の意味は、この戦後の民主国家への国家改造が国際的にも評価され、晴れて「自由と民主主義国家」の一員として国際社会から承認された、という意味なのである。つまり、ポツダム宣言の受諾によって約束した「日本の民主化」が、GHQと日本国民の協力・努力によって完了した、という意味なのである。つまりは、敗戦に打ちひしがれた日本国民が、GHQの主導の下で「軍国主義国家から民主主義国家への改造」に積極的に協力して、今日の日本の繁栄の基礎を築いたということなのである。その結果としての「主権回復」であったのではないのか。
そういうわれわれの父母や祖父母達の戦後の占領下の6年半の努力は高く評価されるべきではないのか。占領軍支配下の単なる奴隷的生活であったのか。それが問われねばならないのではないのか。「占領統治」という言葉だけを解釈すれば、日中戦争時代の日本軍による中国本土の占領統治もおなじ「占領統治」ということになってしまうが、それでは歴史の本質を見誤ることになる。少なくとも太平洋戦争終結後のGHQによる日本占領統治下の時代における日本国民は、「経済復興と民主主義国家の建設」という明確な国家目標をGHQと共有して、努力して来たのであり、その努力の結果として講和条約の締結すなわち主権の回復を獲得しえたのではないのか。
そのような戦後史認識の立場に立つならば6年半に及ぶGHQによる占領統治の時代は、「自由と民主主義国家」への準備段階であり、日本国民としてはもっとも苦難の時代であったが、同時に「自由と民主主義国家」の確固たる土台が着実に創られた時代でもあったのではないのか。それが東京裁判であり、日本国憲法であり、教育基本法であり、労働基本法であり、新民法(家族法)あり、農地改革であり、財閥解体であったのではないのか。であればこそ、この時代は、日本国民にとっても、占領軍に対してひたすら奴隷的に服従させられた無気力な暗い時代であったのではなく、希望を持って新しい民主主義国家建設に向かった時代であったのではなかったのか。あの服部良一の作曲した「青い山脈」(昭和24年)の若々しい歌声が、日本全国津々浦々に鳴り響いていた、活力に満ち溢れた時代であったのではなかったのか。中学・高校でも男女共学が実施され、婦人参政権が付与され、新しい希望の時代の息吹を、日本国民が確かに感じ取った時代ではなかったのか。最近の安倍首相の提唱する「価値観外交」は、「自由と民主主義の価値観」を共有する諸国家による協力体制の構築を唱えているいるようであるが、日本国民が「自由と民主主義の価値観」を獲得したのは、まさに敗戦直後から講和条約締結にいたるGHQの占領統治下の時代であったのではないのか。その苦難の時代における日本国民の民主国家建設へのひたむきな努力に敬意を表すべきではないのか。
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