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2013-02-28 07:02
“派閥”拡大を競う麻生と石破
杉浦 正章
政治評論家
麻生太郎の自派拡大路線が止まらない。総選挙後に自民党で発生した新人囲い込み競争でも先頭を走り、12人の弱小派閥が34人となった。さらに大島派(11人)とも近く合併して、党内第3派閥を目指している。狙いは何か。言うまでもない「ポスト安倍」狙いだ。政治家たるもの権力欲がなくなったら終わりだが、72歳の御大は老いてますますさかんだ。かねてから反りが合わない幹事長・石破茂も麻生と互角の「派閥」を結成しており、水面下では麻生Vs石破の対立の構図が次第に鮮明になりそうだ。とはいうものの、首相・安倍晋三はつきについている。本人も2月27日、一時的にねじれが解消して補正予算が成立したたことに触れ、「安倍さんは運がいいと言われるが、運も実力のうちですから」と述べているとおりだ。やることすべてが「怖いようにうまくいく」(官邸筋)という状態だ。アベノミクスは大ブレークして、株高・円安を招き、ひょっとしたらデフレ脱却かという希望を生じさせている。日米首脳会談も成功し、超難関であるはずの環太平洋経済連携協定(TPP)も、反対派が腰折れして、参加表明への道が開けた。快進撃を見て、民主党からは難破船からネズミが逃げるように離党者が続出。内閣支持率は奇異なことに軒並みスタート時を上回り、70%前後に達している。
こんな政権を前にして、しかも自ら安倍支持を最初に表明して“主流派”を自認している麻生が、何でここに来て頑張りはじめたかだ。そこには「満たせぬ思い」がある。せっかく政権を取ったにもかかわらず、誤読と高級バー通いなどという愚にもつかないことでマスコミの批判を浴びて、退陣とは泣くに泣けないのだ。そして長年政治家をやっていれば、政権というものは好事魔多しで、いつ倒れるか分からない水商売であることが分かっている。安倍には難病があるし、成長戦略が未定のアベノミクスのバブルがはじければ、一挙に快進撃が総崩れになる可能性を秘めているのだ。しかし、アベノミクスがはじければ、財務相として一蓮托生の責任を問われるのは麻生であり、戦略は成り立たない。結局は安倍が再び病気で倒れる事しかチャンスはない。政治家というのは、その狭いチャンスでも“狙う”のだ。なぜならそれが商売だからである。一方、石破も頑張るのだ。かねてから石破は、派閥の弊害を公言して、改革派を前面に出していたが、最近では「派閥を否定したことなど一度もない」そうだ。どうもこのご仁は理路整然と前言を翻す癖がある。1月に40人で結成した「無派閥連絡会」も明らかに派閥だが、ようやく最近になって石破自身も派閥と認めた。その戦略は何としてでも参院選挙に勝つことだ。現在の石破の地位は、幹事長として総選挙に勝ったことにあることは間違いない。
総裁・谷垣禎一に政調会長を外されて、ここを先途(せんど)とばかりに地方周りを繰り返し、地方組織に基盤を作った。それが総裁選挙でトップの地方票獲得となって現れたのだ。最終的に負けたのは派閥を基盤にしていなかったことだ。その“反省”から無派閥派という派閥を結成したのだ。石破は最近周辺に「幹事長として参院選に勝ったら、好きなことをやらせて貰う。2年後には安倍さんと同じ歳になるし」と漏らしているという。不気味な発言だ。総選挙と参院選挙に勝った幹事長は、何と言っても実力ナンバーワンとなる。こうして「ポスト安倍」にやる気の実力者が二人台頭しつつあるのが、自民党内の現状である。それも派閥勢力の上に立っての戦いが始まろうとしているのだが、その他の派閥は軒並み領袖がぱっとしない。老舗の福田派の流れを汲む町村派(82人)は、町村信孝が脳梗塞から復帰したものの、勢いがでない。大勢は安倍に流れている。田中派の流れの額賀派(51人)も額賀福志郎がぱっとしない。宏池会・池田派の流れの岸田派(旧古賀派・40人)も外相・岸田文男は修行中で、ポスト安倍をいきなり狙う態勢にない。二階派(32人)も石原派(15人)も党を牽引する力はない。
やはり安倍が町村派の大勢と、派閥横断の安倍支持グループ「創生日本」(100人)を背景に、断トツの勢力を維持している。ここで傑作なのは党政治制度改革実行本部(逢沢一郎本部長)がまとめた「脱派閥」の党改革答申。派閥の事務所を党本部に移すのだというが、これでは脱派閥どころか党が派閥の存在を公認することになるではないか。派閥は事務所を持って“コソコソ”やるから面白いのだ。過去に首相・福田赳夫が党本部に「国会議員が派閥事務所ではなく党本部に集まって懇談できるように」とリバティー・クラブと称する部屋をつくって、いまだに存在するが派閥解消には至らなかった。やはり首相・海部俊樹も党本部活用を提案したが実現せずだ。だいいち麻生が人数が増えて狭くなったとして新事務所を作る方向だという。派閥政治はカネと大臣ポストという問題で批判の対象となってきたが、情報の共有、新人教育という面で大きな役割を果たしていたのだ。また田中角栄から三木武夫に政権が移ったように、イデオロギー抜きで対立者への“政権交代”を可能にして、自民党は民主党のような希代の大失政政権を作らずに済んできた。自民党は派閥や個人後援会、族議員などを通じて、多様な要求を汲み上げ、時代の変化に柔軟に対応したからこそ、長期政権を維持できたのだ。抗争のための派閥でなく、現在程度のゆるやかな結びつきなら自民党は活気が出て何ら問題はない。目くじらを立てることもない。
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