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2006-08-04 15:58
「大航海時代」以来のパラダイム転換―アジアの再台頭
河東哲夫
早稲田大学客員教授
ヴァスコ・ダ・ガマがアジア航路を開発し、アメリカの金銀をヨーロッパが独占し、それらをベースにイギリスが産業革命を遂行して以来、世界は植民地主義の下にあった。西欧諸国は国民国家という国力動員装置を整備して、市場としての植民地獲得を競い合った。第2次大戦で多くの独立国が誕生し、植民地主義時代は一応の終わりを告げたが、軍事力、経済力、情報などの面での「西側」優位は変わらなかった。そして、冷戦こそが世界の主要な対立軸であるとされて、東と西の格差克服は二の次の問題とされたのである。アジアでは共産化した中国に代わって敗戦国日本が米国の主要な同盟国として選ばれ、戦後一貫してアジアの発展に主要な役割を果たすようになった。
冷戦の終結は世界経済を真にグローバル化し、外部からの投資を受け入れて急成長した中国の台頭を招いた。領土・人口大国であり、独自の軍事力を有する中国は、世界中から政治大国としても見なされている。これにより漸く、植民地主義時代の真の終焉が見えてきた。だが、国際的な金融力、国際的なマスコミ、文化の波及力、製品のブランド力などにおいて、アジアは旧植民地主義諸国に未だ劣っている。そしてアジアは経済発展の戸口に立っているとしても、広大なイスラム地域の多くは、工業化文明から恩恵を受けるより搾取される側に止まったままなのである。パレスチナ問題もさることながら、右の事実こそが、激化する一方のイスラム教、キリスト教間の「文明の対立」の根元にあり、イスラム地域では「大航海時代」は未だ終わる兆しを見せていないのだ。一度、植民地主義を総括する国際シンポジウムでも開いて、ポスト植民地主義時代の現状と問題点、発展と安定化への方途を議論してみてはどうか。
イギリスの産業革命までは、アジアが世界の工場であった。アジアが世界の富の大部分を創りだしていた。今、世界経済の中心は再びアジアへと移動しつつある。だが我々が有頂天になり、再び世界の主人になったと思いこむ前に、多くの残された問題があることを忘れてはならない。その一つに、「生活水準は上がった。だが基本的な価値観を何に定めたらいいのか。」ということがある。別の言葉で言えば、「伝統」を取るのか「グローバル」な価値観を取るのか、ということである。価値観をめぐる議論は10年程前、アジアで盛んに行われた。ちょうどその当時、アジア諸国の経済と社会が激しい変容を始めていたからだろう。今、同じ議論はイスラム地域、旧ソ連地域でもかまびすしくなっている。米国を中心として、これら地域における民主化を求める動きが強くなったし、一連の経済改革がこれまでの利権構造を脅かしているからだろう。
改革と安定、この2つの相反する要因の間でバランスを維持しないと、拙速な改革によって社会をいたずらに不安定化させたり、「伝統」墨守で既得権益層による専制政治を助長したりすることになる。人間は、本来的に「自由」を求める動物だ。経済発展の究極的目標も、できるだけ多くの人間の生活と自由を保証するところに置いてもらいたい。カネしか眼中にない社会はきっとさびしいものだろう。そして自由な個人が集まった社会を治めるのに便利な政治装置は、民主主義(即ち平和な手段による支配者の交代、政策の転換、政治家・政党間の競争と切磋琢磨、議会・選挙による国内利益の配分など)をおいてない。そんなことについても、国際的な話し合いが行われるべきだ。民主化要求は性急なものであってはならず、他方「伝統」と既得権益を混同して国民の利益を軽視するようなことを許してもならない。日本は、経済発展・民主化を非白人国としては最初に達成した国として、右のような意見を世界で主張していくのに適していると考える。
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