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2012-03-27 06:54
見えてきた橋下扇動政治の“ほころび”
杉浦 正章
政治評論家
花火の季節にはまだ間があるが、大阪維新の会による「維新政治塾」の開講花火が1発どーんと揚がった。主役の大阪市長・橋下徹による国政進出に向けての号砲だ。関西圏を中心に「維新風」が吹きすさんでいる。この政治現象をどう見るかだが、背景に国民のガバナビリティ(被統治能力)の脆弱さが存在するとしか言いようがない。国政への“野望”に燃える橋下は、その脆弱な脇腹を狙って、狙撃を繰り返す。3年前の総選挙で政党がフルに活用した「風」を、今度はまぎれもない扇動家である個人が巻き起こそうとしているのだ。しかし、露出度が激しくなるに従って、橋下本人の急所が露呈してきた。ガバナビリティとは簡単に言えば「政治民度」だ。「風」で動く4~5割に達する浮動層がその象徴である。日本人は知的水準、教育水準、文化水準においては世界に冠たる国民性を有するが、政治的水準は低すぎる。とりわけ、中選挙区制を小選挙区制にしてから、その傾向が顕著になっている。2年半前の総選挙で自民党に辟易したのはいいが、民主党に吹いた「風」に踊らされて、308議席という大量議席を与えてしまった。
その結果、内政も外交も失政続き。選挙の公約など全く実行されない、というしっぺ返しを受けた。東日本大震災が露呈させた政権の無為無策ぶりは、目も当てられないものがある。だからといって、今度は懲りもせずにヒトラー的な独裁傾向を有する橋下へとなびいてしまいそうになっている。「風」で投票することへの危険性は、学習されていないのだ。まさにこの国民にして、この政治ありだ。テレビを活用したテレポリティクスが橋下のすべてだ。テレビが囃(はや)すうちだけは生存し、見向きもしなくなれば、それで終わりなのだが、見向きもしなくなるまでに解散があれば、それなりの議席を獲得するだろう。政治塾開講で何を言うかと注目して分析したが、扇動政治そのものだ。「来たるべき大戦(おおいくさ)に備え、しっかりと準備をする」「日本の政治を変える」とまず戦闘開始宣言。次いで「やるか、やらないか、2つに1つ。四の五の言う前にやる。それによってしか日本は変えられない」と煽(あお)る。しかし「政治を変える」と言うが、何をどのように変えるのか。「四の五の言う前に何をやるのか」の言及もない。
要するに、大言壮語なのだが、これほど空疎な大言壮語でも、集まった維新チルドレン候補生たちをうならせ、興奮させるのだから、一種の大衆催眠術なのだろう。橋下の狙いは、チルドレンを扇動して、総選挙に間に合わせるように“促成栽培”することにある。国政への数だけを集めればよいのだ。大阪の「ガバナビリティ欠如人」たちは、いまのところ「橋下さんの言うことなら、すべて賛成」という属人的な礼賛に浸っているから、これが民主党政権と同じ結果か、それ以上の悪い結果を招くことなど、つゆほども感じていないのだ。大言壮語なのは、各論に入ると狙い撃ちにされることを避けている戦術でもある。民主党が各論を掲げて、ことごとく実現できずに失敗したことを、橋下は学習しているのかも知れない。しかし、テレビ番組で全身を露出するにしたがって、その政策面での荒唐無稽(むけい)ぶりが露わになっている。例えば「消費税の地方移管」だ。誰でもすぐに気づくが、都道道県ごとに消費税が決まれば、消費者は低い自治体へと流れる。高い県は消費税収が激減して、機能しなくなる。富裕者層の多い県は税収が大きく、少ない県との落差が生ずる。橋下は「知事会で税率を決めればよい」と言うが、それこそ四分五裂の論議を招くだけだ。46都道府県それぞれの事情があることが分かっていない。
憲法改正についても、「まず96条の改正を先にやる。96条があっては、議論しても意味がない」と宣うた。改憲は「各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない」とする3分の2条項が邪魔になるから、まずこれを改正しようというのだが、それでも弁護士かと言いたい。96条を変えること自体に3分の2の多数が必要なのであり、最初にできれば世話はないのだ。首相公選制や一院制なども、はやりの言葉で言うなら「言うだけ番長」だ。橋下は「かちっとした制度設計は官僚組織を使わなければできない。政治家は大きな方向性を示せばよい」というが、その大きな方向性に疑問があるのだ。要するに、「風」に乗って言いたい放題言いまくっていても、ほころびは重要政策で見え始めているのだ。「政治民度」の低い国民にあえて言うならば、政治は忍耐であり、国民にも忍耐が求められる。橋下が狙うような回天の大事業などは、一朝一夕にできるものではない。民主党政権を選んだ大失敗を、橋下政治で繰り返すべきではない。具体論を避け、美辞麗句を並べる政治家ほど信用出来ないものはない。軽佻浮薄なテレポリティクスに踊らされない選択が、今ほど求められるときもない。
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