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2012-01-18 06:54
「小沢燕雀」が描く解散阻止戦略は無理
杉浦 正章
政治評論家
民主党元代表・小沢一郎が、消費増税を掲げ解散も辞さぬ構えの首相・野田佳彦を「政治感覚が分からない」と批判した。分からないのも無理もない。理由は、落語家みたいだが「小沢燕雀(えんじゃく)」だからだ。史記にはちゃんと「燕雀安(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」と書いてある。ここ数年では初めて、消費増税をあえて世に問うという、希有(けう)の志をもった「政治家」が出現したのであり、目先の餌を突っつくことしか知らない「政治屋」では、確かに理解の範ちゅうを超える。高崎市での会合での発言は久しぶりに本音が見える。小沢はまず野田が解散も辞さない姿勢を見せていることに言及した。「野田総理大臣は、消費税増税を掲げて、『衆議院の解散も辞さず』とまで言っているようだが、どういう政治感覚をしているのか、本当に分からない」と述べた。分からないのは小沢の生き様がそうさせているのだ。小沢は基本的には数の論理の信奉者である。恩師と仰ぐ田中角栄のまねだが、田中は少なくとも「首相になったら日中国交だけは片付ける」という志があった。
しかし小沢政治は、同じ数の論理でも政局と権力闘争のための手段に使っているにすぎない。田中はそうそうたる政治家たちを配下にもったが、小沢は「村会議員並み」と言ったら村会議員が怒るような“チルドレン”など有象無象の集まりの上に立っているに過ぎない。それでも数は数で力を発揮できるのだ。そこが政治家と政治屋の違いであって、政治屋は政治家の志を理解出来ないのだ。野田は明らかに「背水内閣」(経済同友会代表幹事・長谷川閑史)だ。背水の陣を敷いている。もちろん解散すれば、消費税が焦点となって大敗するかも知れない。しかし政治家というのは、選挙大敗も辞さずに、ことに臨まなければならない時がある。そのときを理解しているのが野田鴻鵠で、数を減らすことを理解出来ないのが小沢燕雀なのだ。
小沢はさらに「野田総理大臣で衆議院の解散はできないと思うが、今のままだと行き詰まる可能性が非常に大きい。そうなると、トップが誰かは別にして、選挙管理内閣のような形で、ことし中に衆議院の解散・総選挙があるのではないか」と述べた。これは、野田には解散をさせないで、首をすげ替えたうえで、新首相に解散させるという意思表示でもある。しかしそれが可能だろうか。まず不可能だと思う。過去の例が物語る。解散は天皇の国事行為であり、形式上は、天皇が国会に提出する解散詔書によって行われる。それを政府が閣議で事前に決定することになる。過去にその閣議決定を阻止しようという動きが数度あった。顕著なのは三木内閣と小泉内閣の例だ。1976年、自民党反三木勢力の挙党協は、三木を退陣に追い込むための田中戦略に基づいて、副総理・福田赳夫、外相・宮沢喜一、蔵相・大平正芳らが解散反対ののろしを上げた。これに対して三木は閣僚罷免で対抗しようとしたが、反対閣僚が15人にも達して罷免しきれなかった。結局野党に追い込まれる任期満了選挙となった。
もう一つ対照的な例が2005年の小泉純一郎の郵政解散である。農水相・島村宜伸が署名拒否して辞表を提出したが、小泉はこれを認めず島村を罷免、自ら農相を兼務して署名し、解散を断行した。三木と小泉の場合決定的な違いは反対閣僚の人数である。野田の置かれた状況は、小泉の例が酷似している。例え小沢グループの新閣僚らが詔書に反対しても、罷免すれば済む数にとどまる方向だ。そもそも首相の持つ特権で、解散権ほど強いものは無い。明らかに小沢は三木方式での解散阻止を狙っていることになるが、閣僚の大半が署名拒否するような事態にはならない。むしろ副総理・岡田克也以下解散論に固まる可能性の方が大きい。したがって解散に関する主導権は野田が維持し続ける方向だ。小沢が阻止できる幕ではないだろう。小沢は今年で70歳になる。まだぼけるには早いと思うが、ピントがずれ始めた。
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