ホーム
新規
投稿
検索
検索
お問合わせ
2011-09-23 08:53
小宮山大臣の「診療報酬引上げ」発言は官僚依存の発言
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
世界の大都市で一際立派なビルを見かけたら、保険会社だと思ってまず間違いない。日本の場合には、これに銀行が仲間入りする。もっとも東京都心の目抜きの交差点では、建物の立派さよりも、同じ都市銀行の支店が目の届く範囲に複数(合併前の行数だけ)存在しているほうが、遥かに目立っている。おおよそコストダウンとか、顧客への還元ということにはまるで関心がない。こういうのを「民僚」とでもいうのだろう。
だから、貸し渋り、貸しはがしの話は聞いても、新規ベンチャーに「めきき」よろしく無担保で貸し出した、なんて言う話はとんと聞かない。それどころか、「融資先がなくて困るから」と、超低金利でお客から預かったお金で国債を買って利ざやをとるくらいしか思いつかない。はては、顧客の無智につけ込んで、外為の取引にはめ込み、「損をなさいましたか。この円高ではね。」で済ませる。都市銀行の増上慢に腹を立てだしたら、きりがないから、これくらいにしておこう。
地方都市に行くと、立派な建物にお医者さんが加わる。国道沿い、県道沿いの建物で目を引くものがあれば、お役所、郵便局、銀行、保険会社、それか開業医の医院だと思って先ず間違いない。別に開業医が儲かろうが、立派なビルを建てようが、ベンツやBMWに乗っていようが、それに焼きもちを焼く必要はない。しかし、小宮山大臣は「診療報酬の更なる引き上げが必要だ」とおっしゃる。で、その理由たるや「過疎地の医師不足対策や、医療サービス供給レベルの向上のため」だそうな。ならば、定めし過疎地に限って引き上げるのかと思いの外、これは全国一網打尽らしいではないか。低所得層の収入増のために、全国民に一律賞与を出す様なもので、およそまじめな検討に値する議論だとは思われない。こういう市民感覚から隔絶した様な論理が登場するのは、それらがほとんど常に官僚あるいは民僚の「常識」に依存する提言だからであると考えて間違いない。
その典型例が、「公益」法人に対して年度における収支がぴったり一致することを求めたりする、今回の公益法人制度改革である。そうした非常識を否定しないまでも、市民感覚に照らして「これはいかがなものか」と問いかけるのが、政治家だろう。それが出来ていない。診療報酬に見るように、ことは公益法人制度改革に留まらないのはいうまでもない。泥鰌内閣閣僚の目玉商品のひとつである女性閣僚が、早くも官僚の常識に絡めとられているのでなければ良いのだが。満面に笑みを浮かべながら、「官僚節」を高らかに歌うのでは、長妻さんが泣こうというものだ。
>>>この投稿にコメントする
修正する
投稿履歴
一覧へ戻る
総論稿数:4661本
東アジア共同体評議会