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2011-06-27 22:13
菅首相の居座りについて思う
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
「菅がダメだから(それは誰でも知っている)、これを取っ替えなければ震災復興の審議に応じない」なんていう、世にも愚劣なレトリックを掲げて内閣不信任案を提出する方もする方だが、「それに色目を使えば、多少は良いこともあるか」と舌なめずりをせぬばかりに、鰻屋で集会をする代議士がいたりするから、世も末というべきか。
「こんなバカにつきあってはいられない」とやっと旗幟を鮮明にしたみんなの党は、遅ればせとは言いながら「さすが」というべきだし、敢然として国民大多数の意見を代弁したかのごとき自民党河野太郎氏の発言には、いつものことながら快哉を叫びたい。煮え切らない谷垣総裁や前世紀の遺物の様な領袖連、さらにはおよそ非理性的なセンチメンタリズムともいうべき発言に終始している石原幹事長など、「この党では、とても代替政権は無理だ」と思わせられていただけに、希望の星は依然として存在しているのは心強い。あい願わくば、この波が旬日を経ずして主流にならんことを。
それにしても菅さんの二枚腰、三枚腰には、改めてしたたかさを見直した思いだ。桜の散り際を愛でる国民性からは「往生際が悪い」の、「未練がましい」の、と悪評さくさくのようだが、筆者はやや意見を異にする。ご自身で政権を担当している間に「どうしても成し遂げたい」ことがあるのならば、「石にかじりついても頑張る」というのは「天晴れ」というべきだろう。この人にして、「追い込まれたら、やっとおやりになりたいことがはっきりした」というのは、結構なことだ。その内容たるや、国家百年の大計、という訳には行かないのがいささか残念なことだが、まあ、それは器の問題で仕方がないとするか。こうなったら、粘れる限りお粘りになることをお勧めしたい。
唯一懸念するのは、土壇場になって氏の伝統的手法、つまり「味方にあらざるものはすべて敵」というシングルイシューの設問に堕して、解散総選挙に打って出ることなのだが、それも「原発賛成か、反対か」などという不毛の選択ででもない限り、思ったほどの害はないのかもしれない。漏れ伝え聞くところによれば、この人のそば近くにいると、支離滅裂ぶりや精神の不安定さに辟易なさる向きもおありのようだが、距離を置いて拝見している限り、なかなか立派な宰相ぶりである。器が小隊長なのは今更どうしようもないから、作業服を着て現場に行きたがるのは大目に見よう。何よりも、取りあえず、在任一年を超した宰相の誕生はめでたい。
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