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2011-03-27 19:04
信頼を裏切った原子力安全委員会の「自主避難」見解
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
地震と津波。その被害だけでも目を覆う惨事だ。それに加えて、原発被害では、不謹慎かもしれないが、踏んだり蹴ったりという言い方がぴったりかもしれない。もちろん原発事故も、地震に起因する。その意味では、地震被害には違いないのだが、因果関係の解りにくさ、さらには影響範囲の不明確さ、あるいは放射能被害に対する恐怖感といったものから、それ以外のものとは異なった被害として認識されているのが事実だろう。
一般市民は原子力について、あるいは放射能について、ほとんど無知だ。だからマスメディアを通じて、聞いたこともないベクレルだなんだという計量単位と共に発表される「専門家」の公式見解を素人なりに理解しようとする。それ以外に対応のしようがない。それも、テレビにコメンテーターとして登場する「専門家」ではなくて、原子力安全委員会の発表といわれるものに最も信をおくのは、当然のことだろう。
なぜかこれまでに発表されたと伝えられる委員会の見解は、委員会のホームページには掲載されていない。だからマスメディアの情報に依存することになる。その限りでは、やや頼りないのだが、とにかく日本で最高権威である「専門家」の科学的知見として、これを信じる他はない。流言飛語、風評の数々、そんなものには耳をふさいで、信じるとすれば、委員会見解と官房長官の記者会見しかない、というのが一般人の感覚だろう。それが今回の「自主避難」という委員会の見解で、信頼を大きく裏切る事になった。
避難命令と違って自主避難というのは、避難する人の自主的な判断による、という意味だ。だから後で本当は避難する必要がなかった場合でも、何らかの不都合が生じた場合でも、それは本人の判断だから自己責任だ、というに等しい。そんなものが科学的知見といえるのだろうか。単なる無責任な責任転嫁ではないか。これに比べれば、枝野官房長官の説明は納得がゆくものだった。「地域の経済活動が生活維持に適さないレベルに達しているから『自主的に』避難するのが望ましい」というのだ。これは理解できる。しかし、どんな行動をとるべきかの判断の基本になるべき「専門家」の科学的知見が「自主」避難というのであっては、理解に苦しむ。東電の情報提供については、その不十分さが顕著だ。それは競争のない独占企業にありがちな欠点である、と評価する以外ないにしても、日本最高の権威と目される原子力安全委員会がこんな無責任な見解を恥ずかしげもなく公表するようでは、素人は漠然とした恐怖感の中で、何を信じたらよいのだろうか。
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