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2011-03-13 19:21
大地震に対応できなかった携帯とJR
入山 映
サイバー大学客員教授・(財)国際開発センター研究顧問
文字通り未曾有の大地震が発生した。甚大な被害を被った地域とは比較する術もないが、東京都心部にあって、いわゆる帰宅難民の一人という状態を経験したので、感じたこと2点を書き留めておきたい。
先ず第一に、携帯電話に対する依存度がいかに高いか、ということを痛感すると同時に、それが機能しなくなったときの不便の大きさも同時に感ずる事になった。地震発生以来深夜に至るまで、ということは、10時間を超えても、携帯電話はごく一部しか機能しない状態が続いた。地震被害という意味では、首都圏ではさほど深刻な状態に陥らなかったものの、非常時における通信手段としての無力さには、日常の依存度が高い分だけに、何とかならないものかという感が深かった。携帯電話に限らず、平常時の対応能力と非常時の対応能力のギャップについては、危機管理という見地から対策を考える一つの契機ではないかと思う。早い話が、崩壊した建造物に囚われたとした場合、ライフラインとしての携帯電話が全く無力だという事実は、構造的な問題だから仕方がない。つまり、加盟者が一斉に通話する状態には対応する術がない、といってすまされるものかどうか。そのギャップによって利益を得ているという事実がある以上、なんらかの手段が開発できないかどうかは、真剣に検討してよいのではないか。地震発生直後、通じなくなった携帯を片手に、最近めっきり減った公衆電話ボックスの前に長蛇の列をなす人々を見るにつけ、その感を深くした。
第二に、他の私鉄に比べて、非常事態に対するJRの対応能力の低さと、一種の非人間性あるいは官僚的な対応が目立ったということだ。地震に対する抵抗力の強い地下鉄は別にしても、私鉄各社は深夜から順次運行を再開し、帰宅難民の救済に全力を挙げる姿勢が目立った。ところが、JRは、早々と終日運行停止を公式発表してから、全くうんともすんとも利用者に情報を提供しないまま、一部区間で運行再開したのは、ようやく翌12日午前7時になってからだった。山手線に至っては9時になっても運行再開していない始末だ。いろいろ理屈はおありになるだろうが、対応能力の低さは否めまい。平行路線における他の私鉄に比して、運転再開が10時間も遅れるというのは、かつて国鉄時代に対応技術能力の段違いの高さを誇ったのに比べて、隔世の感がある。事故時によってたかって叩かれたのに怯えて、何もしなければ事故の起こりようがない、と不作為を決め込んだのだろうか。利用者の目にそう映りかねないのは、いささかならず問題だと思う。深夜のJR駅がシャッターを降ろして、一切の利用者とのコミュニケーションを拒絶しているお隣で、地下鉄駅には利用者の長蛇の列が出来ている状態は象徴的だった。
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